日銀は、2012年7月から12月までの金融政策決定会合の議事録を公開しました。
12月の会合の直前に、当時の自民党の安倍総裁がデフレ脱却に向け、日銀に2%の物価目標を設定するよう求めましたが、当時の白川総裁は、高い目標を掲げても、それが達成されなかった場合、日銀に対する信認が低下し、経済にとってマイナスとなると懸念していたことがわかりました。

当時、日銀は目指す物価上昇率を「当面1%を目途とする」としていましたが、この年の12月18日に自民党の安倍総裁が日銀の白川総裁と会談し、デフレ脱却に向け、2%の物価目標を設定するよう直接求めました。

議事録によりますと、この翌日から開かれた12月の会合で、当時の西村副総裁は「海外の市場参加者には日銀がデフレ脱却に消極的だという明らかな誤解がある。それは『物価安定の目途』を1%としていることから、生じているように思う」と述べ、海外で主流となっていた2%の目標の設定に前向きな姿勢を示しました。

一方、当時の白川総裁は「今ゼロの物価上昇率をどう上げていくかというとき、妥当な期間で本当にこれが達成できるのかと思う。もしそれが達成されないと、今度は中央銀行に対する信認、政策に対する信認が低下してくる。結局、経済にとってマイナスになってしまう」と述べました。

そのうえで「気合いだけの問題ではなく、これをどのように実現していくのかという具体的な政策論の話になる」と指摘しました。

この会合の翌月、日銀は政府との間で物価目標を2%としたうえで、その実現に向けて金融緩和を推進するとする共同声明を結びましたが、10年がたった今も2%の物価安定目標は達成できていないとしています。

10年前の議論の詳細

10年前の2012年、前の年に起きた東日本大震災に続いてヨーロッパの信用不安が深刻化し、外国為替市場では円高傾向が続いていました。

日本は、デフレの状態から抜け出せず、日銀は、景気を下支えするため、金融緩和を続けていました。

当時、日銀は、目指す物価上昇率を「当面1%をめどとする」としていましたが、市場などからは「表現が分かりにくい」とか、「対応が不十分だ」といった指摘が出ていました。

12月18日には、当時の自民党の安倍総裁から、デフレ脱却に向けて2%の物価目標を設定する形で政策協定を結ぶよう求められ、この翌日から2日間にわたって開かれた金融政策決定会合では、この物価目標をめぐって重点的に議論が交わされました。

このうち、当時の木内審議委員は「現在のコミットメントは、あいまいさを多分に含んでいて、それが効果の発現を阻害している側面があるのではないか。日銀が1%に達する前に拙速に緩和策を後退させてしまう、弱めてしまうのではないかといった懸念を抱く向きは多いように思う」と述べました。

そのうえで「新政権と日銀との間で、政策協調をめぐるコミュニケーションが本格的に始まると思うが、これを前向きに受け止める姿勢が重要だ。日銀と政府が中長期的な国民経済の健全な発展という目標を共有し政策協調を強化していくことは、日銀の独立性維持と決して矛盾するものではない」と述べました。

一方、当時の白川総裁は、目標を設定することで政策の柔軟性が失われることを懸念していました。

会合で白川総裁は、インフレーション・ターゲティング(物価目標)を採用している国は、長期的な物価の安定を柔軟に目指す形となっているとしたうえで「国民や政府、政治家の間で物価目標は、フレキシブルだとどの程度理解されるかがポイントだと思う」と述べました。

そのうえで、デフレの脱却に向けた金融緩和によって国債を購入し続け、財政規律が失われることになれば、長い目で見て、物価の安定にとって逆効果になると指摘したうえで「政府自身に振り返ってくる非常に重たい話だ」と述べました。

また、当時の山口副総裁は「物価安定を実現するうえで、政府の果たす役割も小さくない。政府は、マクロ的な経済政策運営、財政規律の確保、成長力強化の取り組みなどを通じて、物価形成に大きな影響を及ぼす。こうした点もしっかり議論していく必要がある」と述べ、物価の安定に向けては、日銀の金融政策だけでなく、政府が財政再建や成長戦略に取り組むことも重要になるという認識を示しました。

また、当時の白井審議委員も「2%の達成は金融政策だけでは実現するのは難しいので、その場合の経済条件の明記が必要であると思う。たとえば、成長力強化策の実施、財政規律をどう表現するのかなどの検討が必要だ」と述べていました。

日銀の審議委員として2012年12月の会合に出席した野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミストに当時の2%の物価目標や政府との共同声明に関する議論について聞きました。

Q.当時、日銀内部はどのような雰囲気だったか。

A.日銀は、物価目標の導入に慎重だった。

日本では90年代初頭以来、安定的に2%超える物価上昇率にはなっておらず、2%は、日本経済の実力から考えても、あまりにも無理な目標だという見方が強かったのではないかと思う。

世の中では非常に高い物価目標を導入してデフレ脱却のために積極的な行動をせよという要求が高まっていたが、無理な目標を掲げるとそこに金融政策が縛られてしまう。

しかし、当時の雰囲気としては、政府からの強い要請があって、それに抗しがたくなって、物価目標の導入を受け入れざるを得なくなった。

日銀としては若干、不本意ながら、物価目標の導入を受け入れることを決めたと。

12月の金融政策決定会合はそういう会合になったと思う。

Q.政府と日銀の共同声明についてはどう見る?

A.政府と日銀が協力する、意思疎通を十分することは正しいが、最終的には政策の手段は日銀が決めるべきものだ。

その意味で、2%の目標と共同声明はあまり妥当ではなかったのではないかと思う。

高い目標に縛られた金融政策をやると、柔軟性が欠け、いろんな副作用を起こしてしまうと考え、私自身、1月の会合で反対した。

実際、日銀は10年たっても2%の目標を達成できず、目標に縛られて、硬直的な金融政策運営になっている。

結局10年たって経済や物価のトレンド、賃金のトレンドはほとんど変わっていない。

Q.共同声明の課題はどこにあると考えているか。

A.共同声明は、日銀も頑張るけど、政府も頑張れという、双方向で約束する形になっている。

政府としては財政の健全化と競争力や経済の潜在力の向上を図るための構造改革を進めることになっていたが、結局そちらはあまり進展せずに、金融緩和ばかりが突出してしまった。

その結果、痛みを伴う構造改革をしなくても経済はよくなる、とか、あるいは国債を発行しても金利が上がらないので、財政は拡張すべきだという議論も高まった。

結果的に構造改革を妨げ、財政の規律を緩めたという弊害があったと思う。

Q.共同声明のあるべき姿とは。

A.生活がよくなるためには日本経済の成長力や生産性が上がって、実質賃金が上がってくることが重要であり、そのためには、政府が成長戦略や構造改革を一生懸命やってほしいということだ。

政府と日銀は、常に意思疎通はするが、具体的な政策についてはそれぞれが決めればよく、共同声明の形で確認する必要はないと思う。

ただ、実際は共同声明を修正するような形になる可能性はあると思うし、その時の焦点は2%の物価目標だと思う。

まだ議論されていないので分からないが、2%の物価目標は中長期の目標として残しておいて、金融政策自体はそこから離れて、もっと柔軟に行えるようにすることなどが、共同声明の修正の落としどころになるのではないかと思っている。