【親子で議論】この社会の行く末 全体主義と管理社会への導入期なのか? | 親父と息子の口喧嘩

親父と息子の口喧嘩

ある親父とある息子が、社会の色々な事柄について論じます。
こんなことを考えている親子もいるのかと、ぜひぜひ少し覗いてくださいな。

息子 「ベルギー、ゲント大学臨床心理学教授であるマティアス・デスメット博士によるエッセイが興味深いんだよね。

英語と日本語訳の文章が以下だ。

 

 

m/p/the-psychology-of-totalitarianism

 

 

少し難しい文章だけどね。
中にこういう一節がある。

 

コロナウイルスの危機が始まったとき、私はある選択を迫られた。危機が起こる前、私は大学で頻繁に講義をし、世界各地の学会で発表していた。

危機が始まったとき、私は直感的に、公共の場で、今度は学界ではなく、社会一般に向けて発言しようと決心した。

「ウイルス」そのものではなく、「ウイルス」が引き起こす恐怖や技術・全体主義的な社会力学が危険なのだということを、人々の注意を喚起するために発言する。

 

こういうことなんだよね。

このコロナウイルス狂想曲とワクチン集団発狂というのは、この技術革新に基づいた全体主義的社会への華麗なる導入(オープニングセレモニー)なんだろうな、と感じるね。」

 

 

親父「確かに我々は今、ウイルスの恐怖を利用しての管理社導入の入り口に差し掛かっているな。マティアス・デスメット博士のエッセイの論旨には全面的に賛成するよ。」

 

 

息子 「その辺りが、共産主義者やグローバリストが掲げる変革なんだろうね。99.99・・%の人間には、決して正しくないがね。

 

このエッセイでキーとなる言葉「大衆形成(mass-formation)」だけど、こう説明されているね。

 

社会で起きていることは、世界的な 大衆形成のプロセスである。

大衆形成とは実際何だろうか?集団形成(group formation)の一種で、その集団が信じていることに反するものにはすべて極端に目をつぶるようにさせるものである。このようにして、彼らは最も不合理な信念を当然視するようになる。

 

第二の特徴は、集団のために個人の利益を極端に犠牲にするようになることである。
第三に、大衆形成にある個人は、不協和音の声に対して根本的に不寛容になる。

大衆形成の究極の段階では、大衆に従わない者に対して残虐行為を行うのが普通である。そして、さらに特徴的なのは、それが自分たちの倫理的義務であるかのようにそうすることである。

 

どんな大衆形成も、マスメディアを通じて流布される洗脳とプロパガンダによって絶えず養われなければ、いつまで経っても存在し続けることはできない。

 

この辺りの話は、これまでも少しずつ社会がそちら側に寄せられてきていて、人々が徐々に洗脳されてきてきたところが、このコロナ騒ぎで一気にやられてしまった、という感じがするねぇ。」

 

 

親父「そうすると、カルト宗教と同じだな。

教義には逆らえないというところだね。」

 

 

息子 「まぁ似たようなものだ。ほんの一部の人間の為に大多数が犠牲になるというシステム、という点で。

 

そして、カルト宗教と同じく、管理小屋に羊たちを追い込むには不安が必要だ。

以下にまた引用を。

 

コロナウイルスの危機は突然やってきたのではなく、テロリスト、地球温暖化、コロナウイルスと、恐怖の対象に対する社会の絶望的で自己破壊的な反応の連続にあてはまる。社会に新しい恐怖の対象が生まれると、その反応はただ一つ、管理の強化だ。

 

一方で、人間はある程度の管理しか許容できない。強圧的管理は恐怖につながり、恐怖はさらなる強圧的管理につながっていくのだ。

こうして、社会は悪循環に陥り、全体主義(=極端な政府支配)へと必然的に導かれ、人間の心理的・物理的完全性の根本的破壊に至るのである。

 

現在はまさにこの過程にあるね。お見事と言える。」

 

 

親父「我々は、そんな馬鹿げた管理社会は求めてはいない。

だから、悪しき潮流に飲み込まれないための

タフな精神力と冷静な判断力を常に持ち続けなければならないな。」

 

 

息子 「そうだ。流されないためには、情報能力が鍵だろうね。

管理側は民主主義の下では、なんとか一般大衆を操作しようと自分たちに都合がよいことを流布し、プロパガンダを始めるのだから。

 

宗教的な物語がその支配力を失い、近代的な民主主義のイデオロギーが登場すると、この状況は変化した。指導者は大衆によって 選ばれなければならなくなった。そして、大衆に選ばれるためには、大衆が何を望んでいるかを探り、多かれ少なかれそれを与えなければならなかった。 それゆえ、指導者は実際に従者になった。

予想通りではあるが、この問題は、悪質な方法で解決された。大衆に命令することができないなら、大衆を操作しなければならない。リップマン、トロッター、バーネイズなどの著作で述べられているように、現代における洗脳とプロパガンダがそこで生まれた。

 

民主主義下の管理側としては、大衆がそれ(管理側に好都合のもの)を望むように情報を操作して洗脳すればよいのだね。

 

まさに今回のワクチン騒ぎは、ここに当てはまる。

 

2020年の後半には、国民の大多数が「早く打ってくれ!」「日本政府は他国に比べて手配が遅い!」と気が狂ったように叫んでいたね。

非常に都合がよいね。管理側にとって。

 

ちゃんと自分でものを考えて情報を得ていかないと、こういう流れに乗ってしまうのだろうね。

そこには、タフな精神力と冷静な判断力が要るのだねぇ。」

 

 

親父「そうだな。我々は悪辣な情報の波に飲み込まれてはならない。

だが、心配することはない。

目を凝らせば、真実の小さな塊はすぐ側にさり気なく転がっているさ。」

 

 

息子 「これまでもプロパガンダによって操作はされてきたが、今回は本当に重要な局面だ。

 

これまでは、正しい情報を得ることが出来た人間と操作され続けた人間での違いを、ほぼ実感することはなかった。つまり、今までは分岐の選択に失敗しても、その直接的短期的な被害は気づけない程度だった。

 

けれども、今回のワクチンについては、まさに生死を分ける分岐、健康を損なうような分岐になった。

 

まぁ自然界・生物界ではこれが当たり前なのだけどね。

逃げ道を左にとった鹿は喰われ、右へ逃げた鹿は生き延びて、たった今飛び立った蝶は小鳥についばまれ、葉の陰で休む蝶は生き残る。

 

我々現代人は、生死を分ける分岐を経ることなく平和に生きることに慣れ過ぎたのかもしれないな。

 

さて、最後に我々がこの狂想曲と共に踊り続けるとどうなっていくのか。それを示唆する文章を引用する。」

 

 

現代では、大衆モニタリング技術の爆発的な普及により、これまで想像もできなかったような新しい大衆操作の手段が生まれた。

そして、新たな技術の進歩は、人間の身体や脳に挿入される技術的なデバイスを通して、心を物質的に操作するという、まったく新しい操作技術を約束する。

少なくとも、それが計画されている。心がどこまで協力するかはまだわからない。

 

親父「身体や脳に小さな金属を挿入して人々の心を操る技術は、シナ共産党や頭のネジの外れたパソコン坊やの成れの果てのおじさんにとっては、きっと垂涎の的なんだろうね。

だけど、彼等はそんな腐れ技術では、人々の無垢の魂までは奪えないことを知らないのだよ。」