ロシアの複数の通信社は、旧ソビエトの最後の指導者で東西冷戦を終結に導いたミハイル・ゴルバチョフ氏が、30日、亡くなったと伝えました。91歳でした。

ゴルバチョフ氏は、1931年、ロシア南部で生まれ、共産党の要職を歴任したあと1985年、54歳でソビエトの最高指導者にあたる書記長に就任しました。

書記長として▽ペレストロイカと呼ばれた政治改革や▽情報公開を意味するグラスノスチなど閉鎖的な社会を民主化する政策を進めました。

外交政策でも、欧米諸国などとの対立の緩和を目指す「新思考外交」を掲げ、社会主義圏だった東ヨーロッパ諸国の民主化や東西ドイツの統一を容認したほか、対立が続いていた中国との関係を正常化しました。

さらに、アメリカとは核軍縮を進め、1989年12月、当時のブッシュ大統領とともに東西冷戦の終結を宣言しました。

こうした功績が評価され、1990年には、ノーベル平和賞を受賞しました。

ゴルバチョフ氏は、近年は、プーチン政権の統治手法が強権的だと懸念も示していました。

2021年10月には政権に批判的な報道を貫いてきた新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長がノーベル平和賞に選ばれたことをうけて「報道機関の重要性を大いに高めるものだ」と評価する声明を発表していました。

そして、ロシア軍がウクライナへの侵攻を開始したことし2月には、ゴルバチョフ氏が代表を務める財団が声明を出し、「人の命ほど尊いものはこの世に存在しないし、存在しえない。相互の尊重と配慮に基づく交渉と対話のみが最も深刻な問題を解決し得る」として、交渉による一刻も早い停戦の実現を求めていました。

ゴルバチョフ氏は、ここ数年は体調がすぐれず、病院で治療を受けていましたが、ロシアの複数の通信社は30日、モスクワ市内の病院の話として、亡くなったと伝えました。

91歳でした。

晩年のゴルバチョフ氏

ゴルバチョフ氏は、ここ数年公の場に姿を見せていませんでしたが、2018年11月首都モスクワで開かれたゴルバチョフ氏の活動を追ったドキュメンタリー映画の上映会に出席しました。

ゴルバチョフ氏は、関係者に手を支えられながら歩いて会場に入り、報道陣の呼びかけにこたえたり、握手を求める人たちに穏やかな表情で応じたりしていました。

また、2020年に公開された別のドキュメンタリー映画の中では、ゴルバチョフ氏は、亡くなった妻ライサさんの写真が飾られた部屋で周りの人に支えられながら静かに暮らす様子が紹介されています。

食事中に「ウォッカ」を求めたり、インタビューの中で冗談を言っておどけた表情を見せたりする姿もありました。

一方、ゴルバチョフ氏は、大統領職を辞任してからもロシアをめぐる情勢などについて国内外のメディアへのインタビューに応じたり、代表を務める財団を通して声明を発表したりするなど、積極的にメッセージを発信し続けていました。

2021年8月、ソビエトの崩壊につながったクーデター未遂事件から30年になるのに合わせて声明を発表した際には、みずからが推し進めた改革路線は正しかったとしたうえでプーチン政権を念頭に「民主主義的な道こそ唯一正しい道だ」と強調しました。

また、ゴルバチョフ氏自身も深く関わってきたロシアの独立系新聞「ノーバヤ・ガゼータ」のムラートフ編集長がノーベル賞に選ばれた際には声明で「こんにちの世界における報道機関の重要性を大いに高めるものだ」と評価しました。

そして、ムラートフ氏について「勇敢で誠実なジャーナリストだ」とたたえ、プーチン政権によるロシア人ジャーナリストへの暴力や脅しにもかかわらず、汚職や社会問題などを批判的に報じ続ける姿勢を貫くよう促しました。

ことし2月にロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まった際にはその2日後の26日に声明を発表し、即時停戦と速やかな和平交渉の必要性を訴えました。

声明では「人の命ほど尊いものはこの世に存在しないし存在しえない。相互の尊重と配慮に基づく交渉と対話のみが最も深刻な問題を解決し得る」としてプーチン政権に対して強硬姿勢を改め交渉による事態の打開を求めました。

“プーチン大統領 深い哀悼の意”

国営のロシア通信は31日未明、ロシア大統領府のペスコフ報道官の話として、プーチン大統領はゴルバチョフ氏の死去に対して、深い哀悼の意を表し、31日の朝にゴルバチョフ氏の遺族や友人に弔電を送る予定だと伝えています。

一方、国営のタス通信は、ゴルバチョフ氏は、妻ライサ氏が眠るモスクワ市内の墓地に埋葬されることになると伝えています。