阪神・淡路大震災から、きょう1月17日で27年です。
地震が起きた午前5時46分、神戸市や淡路島など大きな被害を受けた地域で、遺族らが黙とうし、犠牲者を悼みました。
きょうは、震災当時の記憶や教訓を伝える1日となります。

阪神・淡路大震災の追悼のつどいが開かれている神戸市の東遊園地で、震災後に生まれた若い世代が、当時を知る人たちに体験談などをインタビューし、SNSで発信する活動を行っています。
震災の追悼行事でボランティアを行う神戸市の市民団体「1.17希望の架け橋」の36人のメンバーは、全員が10代から20代の高校生や大学生などです。
記憶を記録として残していきたいと、17日、東遊園地を訪れた人に声をかけ、インタビューを行いました。

団体のメンバーの石田瞳さん(19)は「最初は話しかけていいのかなとためらいましたが、当時のそれぞれの経験を教えてもらうことができました」と話しました。

団体の代表を務める藤原祐弥さん(19)は「震災を体験された方たちの思いを、自分たちがこの先語り継がなければと思います。SNSを活用して若い世代に震災について考えてもらうきっかけにしてほしいです」と話しました。

神戸市長田区の「カトリックたかとり教会」は、キリスト像を残して火災で全焼しましたが、その後、敷地がボランティア活動の拠点となりました。
教会の礼拝堂では午前5時半から追悼式が行われ、神父や仏教の僧りょ、地元の人たちなどおよそ40人が、宗教や宗派、国籍を超えて参加しました。
聖書の一節を日本人の神父が日本語で、ベトナム人の神父がベトナム語で、それぞれ読み上げました。
そして、午前5時46分になると全員で黙とうしました。
続いて、僧りょがお経を読み上げる中、焼香が行われ、犠牲になった人たちに祈りをささげました。
震災当時に教会の司祭だった神田裕神父は「残された私たちが思いを引き受けて前に向かって歩いていきますという気持ちを込めて、祈りをささげました」と話しました。
被災して教会近くの学校に避難した、ベトナム出身のハ・ティ・タン・ガさんは「つらい思い出もありますが、自分が経験したことをほかのベトナムの人に語り継いでいきたいです」と話しました。

阪神・淡路大震災の地震の震源に近い兵庫県淡路島北部の「北淡震災記念公園」には、地震で地表に現れた野島断層の一部が保存され、犠牲になった人たちの慰霊碑が建てられています。
公園には遺族や地元の人などおよそ50人が集まり、震災で命を落とした淡路島の63人と同じ数の竹の灯籠を、慰霊碑の近くの水面に浮かべました。
そして、地震が起きた午前5時46分に合わせて慰霊碑の前で黙とうして、亡くなった人を悼みました。

また、犠牲者の追悼と復興への思いを込めて全員で「ふるさと」を合唱したあと、慰霊碑に花をささげました。
義理の母親を亡くした淡路市の60代の女性は「義理の母の年齢を超え、無念だったろうとつくづく思う。きょうここに来たことで、当時の記憶を忘れてはいけないと思いました」と話しました。
公園を管理し、震災の「語り部」の活動を続ける米山正幸総支配人は「時がたつほど、未来に伝えることの大切さを感じています。野島断層を生かしながら、震災の教訓を今後も継承していきたい」と話しました。

神戸市を一望できる高台の公園では、地震発生時刻の午前5時46分、追悼の祈りをささげるトランペットの音色が響きわたりました。
神戸市中央区の高台にある諏訪山公園では、トランペット奏者の松平晃さん(79)が、平成11年から毎年、震災の犠牲者を悼んで演奏を続けています。
松平さんは、地震が発生した午前5時46分に合わせて、童謡「どこかで春が」を演奏しました。

冬に襲った震災から復興を遂げてきた神戸の街を重ね合わせ、これからも応援していきたいという思いを込めたということです。
松平さんは「27年前の震災を忘れてはいけないという思いと、これから同じような災禍が起きないようにという思いで演奏しました」と話しました。

神戸市中央区の公園「東遊園地」では、犠牲者を追悼するおよそ5000本の竹と紙の灯籠が、震災が起きた日付の「1.17」と「忘れない」ということばの漢字の形に並べられました。
この文字には、震災から27年がたち「忘れてしまわないように」という思い、思い出すのがつらく「忘れたい」人たちの思い、そして「忘れられてしまう」といった危機感など、さまざまな意味が込められています。

地震が起きた午前5時46分に訪れた人たちが静かに手を合わせ、犠牲者に黙とうをささげました。
神戸市須磨区の84歳の女性は「母と兄は震災の3日後に、漏電による住宅火災で亡くなりました。この場所に来ると2人と会話ができるようで、震災の11年目から毎年来ています。なんで火災で命を落としたのかと、今でも悔しい気持ちです。絶対にこの日を忘れることはできません」と話しました。
神戸市東灘区の73歳の女性は「母は東灘区で被災しましたが、病院の中で私の手をつなぎながら亡くなりました。忘れられたら楽だけど、それは無理なことで、1年の中で一番大切な日です」と話しました。
当時35歳の弟を亡くした、神戸市北区の65歳の女性は「1月17日は弟の誕生日でした。真面目で優しい弟で、その後亡くなった父や母と天国で会えていると思います」と話しました。
神戸市灘区の60歳の男性は「父親代わりのおじさんを震災で亡くし『また来たよ。忘れていないからね』と伝えに来ました。多くの方が犠牲になり、1日1日を大切に生きなければいけないと思っています」と話しました。
両親や妻、子どもや孫など合わせて13人で訪れた、神戸市灘区の50代の男性は「家の1階がつぶれて、当時1歳2か月の長女と妻の母が亡くなりました。毎年、4世代で追悼に来ています。きょうは『あの時、助けられずに悪かった。家族は増えたけど、これからも忘れない。見守っててな』と伝えました」と話しました。

兵庫県加古川市の佐藤悦子さん(58)は、震災で神戸市の住宅が焼け、住んでいた母親の行方が今もわからないと話しました。
佐藤さんは「27年がたちましたが、母親は見つかっておらず、自分の中で区切りをつけられていません。この場所を訪れるのは私にとってお墓参りのようで、母親に『来たよ』と伝えに来ました」と話しました。
8歳の孫を連れてきた神戸市東灘区の65歳の女性は「自宅で被災し、震災の直後、暗くて寒かったことを思い出しました。小学生になった孫が関心を持ってくれたので、初めて追悼のつどいに来ました。震災を忘れないよう孫に伝えていきたいです」と話しました。
神戸市東灘区の高校1年の男子生徒は「震災を経験していない世代で、実感がなかったので、つどいに来ることにしました。黙とうのあと、被災した人の話を聞いて、突然、日常が失われたことを知り、毎日を大切に生きなければいけないと思いました」と話しました。
神戸市北区から両親と3人で来た中学3年の男子生徒は「学校の防災学習で、同年代の子どもも亡くなったことを知って衝撃を受け、安らかにお眠りくださいという気持ちで黙とうをささげました。今ある命を大切に生き、震災を語り継いでいきたいと思いました」と話しました。
登校前に訪れた、兵庫県芦屋市の16歳の男子高校生は「祖父と父から、地震で高速道路が傾いたことなど、当時の町の様子を聞いて、衝撃を受けました。コロナ禍で生活様式が変わり、当たり前だと思っていたことがそうでないことに気づきましたが、震災も同じだったのではないかと思います。当事者として震災を体験していなくても、語り継ぐことで、周りの人たちが災害に備え生き延びることができるようにしたいです。若い世代も震災に思いをはせることが大切だと思いました」と話しました。

東遊園地では神戸市が主催する「追悼の集い」も開かれました。
遺族代表としてあいさつしたのは、大阪 茨木市に住むシンガーソングライターの田代作人さん(37)です。
田代さんが10歳のときに神戸市東灘区の自宅が地震で全壊し、7つ年上の姉、瑞恵さん(当時17歳)が命を落としました。
あいさつで田代さんは「最後とわかっていれば、もっとたくさん話したかったし、わがままも言わずに迷惑もかけなかったのにと、後悔は尽きません。あの日、がれきの中から姉を運び出してくれた顔も名前も知らない心温かい人たちに心より感謝します」と述べました。
そして、犠牲になった人の追悼や、復興を願い、平成12年からともされている「希望の灯り」の前に設けられた献花台に花を手向け、祈りをささげました。

「東遊園地」では、震災以降、毎年1月17日に灯籠をともし、犠牲者を追悼するつどいを開いています。
しかし、ことしは公園の改修工事で出入り口が限られ、新型コロナウイルスの感染者が再び急増していることも受けて、混雑を避けるために、去年に続いて半日早く、16日夕方からつどいを始めました。
「忘れない」のひと文字目の「忘」という漢字の形に並べられた紙の灯籠にろうそくを使って火をともし、地震発生時刻の半日前にあたる午後5時46分に合わせて黙とうをささげました。

ろうそくの火は、震災で亡くなった人の追悼や復興を願って公園でともされ続けている「希望の灯り」から分灯されたものです。
つどいに子どもと訪れた兵庫県西宮市の40代の女性は「黙とうの間、町のひどい状態を思い出し、亡くなった方への思いが込み上げました。子どもたちは震災を経験していない世代なので、どうやって語り継ぐべきか考えます。東遊園地には亡くなった方を追悼するモニュメントもあるので、子どもたちも命の重みを感じたと思います」と話していました。
神戸市の小学5年生の女の子は「震災はたくさんの人の命が急に奪われた出来事で、これからも忘れてはいけないと思います」と話していました。
つどいの実行委員長の藤本真一さんは「小さくても、ともし続けることに意味があると思います。神戸だけでなく、さまざまな災害に遭った方のためのともし火でもあり、思いを共有できればいいです」と話していました。