静岡県熱海市で大規模な土石流が発生してから17日で2週間です。熱海市の沿岸部の地域に住む75歳の男性は土砂が押し寄せてきた際、危険を知らせる妻の叫び声を聞いて自宅の2階に「垂直避難」をして九死に一生を得たということです。男性は「あと2、3秒逃げるのが遅ければ死んでいたかもしれず紙一重だった」と話しています。

75歳男性 危険知らせる妻の叫び声で九死に一生

土石流が起きた今月3日、熱海市の伊豆山地区に住む湯原榮司さん(75)と妻の珍江さん(75)は沿岸部の地域にある3階建ての自宅で2人で過ごしていました。湯原さん夫妻の自宅は東海道新幹線の線路の東側で、土石流が流れ下った逢初川の最も下流部に位置し、川のすぐそばに建っています。

午前10時半ごろ土石流の第1波で流れ下った土砂が自宅の前を通る国道135号線上に押し寄せ、自宅の1メートルほど手前で止まったということです。しかし上流部の被害の状況は新幹線の高架や周辺の生い茂った木々などで隠れていて見ることができず、夫の榮司さんは「土砂が止まってよかった」と安心した気持ちで近所の人たちと立ち話をしていたといいます。

ところがそのおよそ20分後、自宅の3階にいた妻の珍江さんが窓越しに自宅に迫ってくる第2波とみられる土石流に気付き、「危ない、早く上がってきて」と叫んだということです。

妻の叫び声を聞いた榮治さんはとっさに自宅の外付けの階段を駆け上がりました。その直後、土石流はあっという間に自宅の1階部分を飲み込み、榮司さんが駆け上がった階段のわずか3段下まで土砂が押し寄せましたが、間一髪のところで巻き込まれずにすんだということです。

珍江さんは当時の状況について「第2波は、第1波で到達した土砂を乗り越えてきたのでかなりの高さがありましたが、そのわりに音は静かで、直前まで気がつきませんでした。階段を上り始めた夫に後ろから覆いかぶさるように見えました」と語りました。

榮司さんは「逃げるので精いっぱいで後ろは一切振り返りませんでしたが、わずか3段の差で助かったことがわかりました。階段を上るしかないと決めて一気に上がったことがよかったのではないかと思います。あと2、3秒逃げるのが遅ければ死んでいたかもしれず紙一重でした」と振り返りました。

湯原さん夫妻は自宅に押し寄せた土砂の影響で外に避難することができず、翌日になって2階の窓から警察に救助されたということです。2人はいまも避難所となっているホテルでの生活を続けています。

自宅のある地域には警戒レベルで最も高いレベル5の「緊急安全確保」が出されていて、元の自宅で暮らしていくことができるのか不安を感じています。

珍江さんは「家に帰りたいですが、しばらくは我慢するしかありません。今は体に気をつけて、元の生活に戻れるように頑張って生きていかなければならないと思っています」と話していました。

榮司さんは「一日も早く自宅に帰りたいです。友人からは電話やメールで励まされ、優しさを強く感じます。あまりにも優しくされると、涙が出て話せなくなってしまいます」と突然、日常が失われたつらさを目に涙を浮かべながら話していました。

「川の異変」に気づき避難の男性は

土石流が流れ込んだ川のすぐそばにある自宅にいながらも、間一髪のタイミングで避難して九死に一生を得たという23歳の男性は「川の異変に気づいたことが生死の分かれ目だった」と話しています。

熱海市の伊豆山地区に住む大学生の太田樹さん(23)は今月3日、土石流が流れ込んだ逢初川のすぐそばにある自宅で、両親と弟の家族4人で過ごしていました。

午前10時半ごろ、太田さんは防災無線の呼びかけを聞き、伊豆山地区で土砂災害が起きたことを知りましたが、その時は逢初川の上流で起きたことだとは思わなかったといいます。

その太田さんが異変を感じるきっかけとなったのが聞き慣れない音でした。川から水の流れる音ではなく、「ゴロゴロ」という石が転がるような音が聞こえてきたといいます。さらに川の様子を確認すると大雨の影響で水量が増えているはずが、逆に川底が見えるまで水位が下がっていたほか、自宅近くの電柱が折れて川に横倒しになっていたということです。

異変を察知した父親は家にいた太田さんや家族に「水の流れが止まっているのは大ごとだから、今すぐ避難する」と伝え、太田さんは貴重品や着替えなどを急いでカバンに詰め始めました。

この直後に地鳴りのような音がしたあと、家の外に目を向けると80メートルほど上流部にある知人の住宅が土石流の勢いで飛ぶように流されるのを見たといいます。

太田さんは住宅が流されてくる様子について「上から飛んできた」と話したうえで「住宅の基礎より上の木造の部分がまるごと宙を舞うように落ちてきて、『バキバキ』という音とともにきしんで折れていきました。ここにいたら危ない、今すぐ逃げるぞという感じでした」としています。

太田さんは家族とともに午前10時40分ごろに避難を始めましたが、過去の土砂災害のニュースで、土砂の流れに対して横の方向に逃げることが重要だと知っていたため、自宅から数百メートル東にある公民館に向かいました。後ろを振り向かずに必死に走り続け、公民館にたどりついて同じように避難してきた人たちの顔を見た時にようやく安心できたといいます。

一方で太田さんの自宅は押し寄せた土石流で屋根より下の大部分が土砂で埋まる大きな被害を受けました。

九死に一生を得る経験をした太田さんは「川の異変に気づくことができ、『空振りになったとしても避難しよう』という判断が早かったことが、生死の分かれ目だったと思います」と話していました。