ここ3ヶ月で環境はかなり変化しました。


30回の陽子線治療を無事終えました。

2週間くらいお家で過ごし、

治験を受けるため、

登録条件である2歳を迎えるとすぐ

次の病院へ転院しました。



チオテパを使った、大量化学療法です。

最後の治療です。



局所の陽子線を選択した時点で

大量化学療法を受けることを決めていました。


これまでもとてもとても辛い治療だったけど、

これまで以上に辛い治療になります。



痛い、辛いが言えないあさひに

どんどん試練を課しているのに、



正反対にわたしは

24時間付き添いから、

家族にルーティーンで

代わってもらえるようになり、


友達とお昼に会うこともできるようになった。

どんどん自由になってきていました。


正直、それに対する罪悪感も

どんどん薄れてきてしまったような気がします。



ちゃんと、ちゃんと

あさひの病気に向き合おう。

環境の変化があっても、

しっかり気を緩めないようにしないと。



ついに昨日から移植の前処置にあたる

チオテパの投薬が始まりました。

無菌室での生活が約1ヶ月始まります。




そして






ちょうど同じ頃に

新しい命が生まれました。


あさひはお姉ちゃんになりました!!



11月5日午後1時49分

3,484グラムのぷくぷくな男の子です。




第三子をつくること、とても悩みました。

もちろん妊活しても、授かりものなので

できるかは分かりません。


健康な子が産める自信もありません。

そして、体力的に精神的にもう1人を

育てていけるのか、、


考えても答えなんて出ないし、

思い通りにいかないことは

もう既に身に染みて分かっているんです。


誤解を承知で書きますが、


決してあさひの代わりになるとは

考えていません。


あさひにもし何かあっても、

沢山子供がいたとしても、

ひとり娘だったとしても

病気のこどもを抱える悲しみは同じです。

あさひは1人しかいません。


むしろ、大切な3人の子供を持つということは、

失うかもしれない怖さは3倍になる。


病からも事故からも、守り抜かないといけない

責任は3倍になる。

そう思います。


でも、将来、あさひのことを支えられる

家族は多い方がいい。


好きに活動できなくても、

家が賑やかであったら、

温かいサポーターに囲まれてたら

それだけで幸せを感じられるはず。


その思い、一心でした。



ただ、こんな大事な治療のときに

そばに居てあげられない

付き添いすら出来ない、



そして、産婦人科に入院しているなか

あさひが生まれた時のことを

思い出しながら、

やっぱり、この1年半の闘病が

全部夢だったらいいのに

なんて現実逃避してしまう、

身勝手な母親です。


いまはまだ別の病院に入院しながら、

お兄ちゃんはパパとお家で、

家族バラバラですが、

それぞれ踏ん張って、

家族で暮らせることを

目指して、



1日1日過ごしていきます。







あさひ、2歳になりました。




転院前の外来へ。









8月27日から、陽子線治療のため


新しい病院に転院しています。


初発時、播種の疑いがあったところにも


陽子線をあてるため、局所+拡大局所


というかたちになり、


合計30回、約1ヶ月半の治療となります。



手術や化学療法を行った病院には


1年3ヶ月ほどお世話になりました。


入院当初のあさひの写真を見返して、


いろんな事を思い返しています。



入院当初、化粧する元気もなく


ゾンビのように病室で泣いていた事、


自分の精神を保つために


何度も病院の周りを歩いた景色、


家族が揃わない週末、


元気な子を見ているのが辛い公園、


病名が確定した時初めて主人が泣いた姿、


術後、ICUで10日も自発呼吸なく過ごした時間、


頭に留置したリザーバーから毎日水を抜き、


それでも緑色の嘔吐を繰り返した時の無力感、


経管栄養に入れてもらう為に


一日中搾乳機でお乳を絞る虚しさ、


外泊に慣れたのも束の間、水頭症が再発し


夜中に緊急CT、次の日に緊急オペという現実、


首すわりも寝返りもなく


離乳食も進まない焦り、


主治医と治療の話をする度に再発に怯える日々、


こうやって書き連ねると


なかなか過酷な闘病生活なんですが、


むしろ笑顔に溢れた日々を過ごした気がします。





かけがえのない、


小さな幸せの気づきが沢山あったから。


前みたいに気軽に外食も旅行もできないけど、


あさひが家にいるだけで、


こんなに楽しい、充実した週末があります。




どん底が見たからなのか、


本当は見ていないけど、


どん底の気配を感じたからなのか、


満たされいる今を実感します。



病気によって数々の制限がもたらされました。


ですが、


制限はむしろ力になります。


以前は何不自由なく暮らしていて、


何事も減点方式になっていた気がします。


目につくのは旦那さんが出来てないこと


自分の時間が持てないこと、


辛いこと、しんどいこと。


子供が大きくなるまでの辛抱だとか、


あの人よりマシだとか、マシじゃないとか。




今は制限があるが故に


与えられた時間を精一杯楽しんでる。


自分が守りたいもののために、


自分ができることを。


自分がそうしたいから。


そうできる、いまある環境に感謝して。


実は世の中は加点で溢れています。




陽子線治療中のあさひは、


今のところトラブルなく過ごせています。


週末はお家に帰れるので、


今日もお兄ちゃんの喜びの叫びが


聞けると思います。


やったー!ではなく、


ウォォォォォーーーー!!!です。







↓ここから新しい病院










久しぶりの投稿になります。

いつもは、自分の心の整理のために

書いている

ブログが多いですが、

今回は、

いつもあさひを気にかけてくださっている

仲間たちに近況報告がしたくて

書いています。



今週からWEEK48の治療が始まりました。

WEEK39から始めた

プロイメンド(吐き気止め)

が効いてくれているのか

吐く回数は減っています。

このプロトコルも残り2クールです。


入院してから1年4ヶ月、

日々の治療が日常となり

あさひがこのまま生きていてくれるなら

ずっと入院していてもいい、

そんな気にさえなっていました。


でもここから

また前に進む為には

向き合わなくてはいけない、

今後の治療をどこで終わらせるのかを

決めるタイミングに来ました。


あさひは当時0歳だったので

今まで放射線治療を受けていませんでした。

全摘できていないこともあり、

いつかは受けなくてはいけない治療です。


いまの病院からは、

十分な判断材料となる情報はなく

とにかく難治性だからという理由で

全脳全脊髄照射を勧められました。

大量化学療法は必要ないかもしれないが、

やるなら前回も使った、ICEで行うと。



現在はっきりした播種もなく、

髄液検査も陰性、

1歳という低年齢で、本当にそれしか

治療法はないのだろうか、

リスクの高い大量化学療法も

やるなら、効果の高いものでやりたい、と

ずっと引っかかっていました。



とにかく与えられた情報だけでは

決められないので、

大阪の小児がん拠点病院と

神戸の陽子線センターへ

セカンドオピニオンに

行かせてもらいました。

病院選定についてはブロ友さんから

情報をいただきました。 

本当に心から感謝をしています。



私たちが出した結論としては、

局所照射、それから大量化学療法は

いまの病院ではなく、

治験を受けられる病院に転院します。


セカンドオピニオン先にて、

治癒の可能性を少しでも上げたいと考え

全脳全脊髄照射をする方法も勿論あるが、

髄注を12回行なっていることと、

チオテパという大量化学療法を追加することで、

補完できるだろうとの見解でした。




胃に穴が空きそうなくらい

悩みました。

心理士さん、リハビリの先生

信頼していた前担当医とも沢山会話をしました。


主治医からは、

治療を優先すれば、全脳全脊髄です。

そうしないと治らないと言われました。



少しでも治る可能性を上げたい、

治療のレベルを下げることはしたくない

当然そう思っています。

それしか治療法が無いのであれば、

そうします。


でもこの期に及んで、

あさひの将来のことを考えるのは

親のエゴなんでしょうか?

命を優先していないのでしょうか?

その答えを探すために、

セカンドオピニオンの旅に出掛けていました。



照射だけでは、そこまで強い後遺症には

ならないとも言われましたが、

生後6ヶ月で発症し

既に水頭症の影響や9度の手術で

首すわりもなく、泣かない、

もちろん発話もない状態です。

1歳で全脳した場合の後遺症を考えると

どうしても、私たちの決断を惑わせます。



何が正しいのか、

私たちは何を求めているのか、

あさひはどうして欲しいと思っているのか、

全て分からなくなりました。



普通学級に行って欲しいなんて

思っていません。

普通学級じゃなくても、

笑って生活できるコミュニティーは

あると信じています。



ただ出来るだけ

少しでも自立した生活を送れるようには

してあげたいのです。

私たちがいる間はどんなケアもする

つもりだし、してあげたいと思っています。

でもその後も彼女の人生の一部です。


セカンドオピニオンの旅に出て、

改めて感じました。

標準治療のない小児がんは

其々の医師の意見が異なります。

それは専門家が提示した

単なる選択肢でしかないんですよね。

発覚当時、

柳澤先生からいただいたメールを

思い出しました。


決意をするのに必要な情報を集めた、と確信でき
たら、その非常に困難な選択を、お父様、お母様でご一緒にお選びになり、選んだ後は、それが最良だったと考えられますように。


選択肢から選び出すのは、自分たちです。

はっきり言ってバクチです。


正解を教えてほしいし、

正解を探そうとしていました。


正答率の高い病院が、

正解をくれるわけではなく

それがあさひに当てはまるとも

限りません。


よく義父が言う、

医者が言うんだから間違いない。


そんな時代じゃないし、

そんな病気じゃないんです。


なにがあっても、

なにがなくても

これから一生背負っていくのは私たちです。

背負って行くために、

できるだけ情報を集めて、決断します。

あとは、あさひを信じます。