こんにちは
 

突然ですが、

「アートって、なに?」と聞かれたら、
なんて答えますか?



なんだろう……

 

アートの始まりを辿ってみると、
大昔は「願い」を神様に表すためのものだったり、
言葉の代わりに分かりやすく伝える「情報伝達の手段」
カメラがない時代には、「写真の代わり」


でもそのうち、
人類は“目に見えないものを感じる力”に
気づき始めたんですよね。

そこから
自分の想像や、目に見えない「心の中」を
描くようになっていきました。
 


今の美術の世界には、
ほとんど何も描かれていない作品や、
作者自身がほとんど手を加えていない作品すらあります。


有名な例でいうと、
マルセル・デュシャンの《泉》という作品。
 
なんと、男性用の便器を
そのままポンと展示して「アートです」と発表したんです。


初めて知った時は、正直びっくり!
「えっ、これが!?」って思いますよね(笑)。

でも、実はその「びっくりさせること」こそが、
作者の狙いだったりするんです。
 

あるいは、空間全体が作品になる
「インスタレーション」のように、
「観る人の解釈」があって初めて成立する作品も
たくさんあります。


こういう作品に出会うと、
私は「どうしよう……」って
ちょっと身構えちゃうんです。

「これはアートです」って言われると、
「どう解釈したら良いんだろう?」って考え込んじゃう。


でもね、本当はもっとシンプルでOK!だった。

 

ただ、パッと心が感じたものがすべて。
素直に感じたことがすべて。
好き?違和感?ずっと見ちゃう?


そこには正解も不正解もないから。

私は、私!


「何かを作ること」だけがアートではない
と私は思うんです。


「心が何かを感じること」
「これってなんだろう?と問いをもつこと」
「それを自分の言葉にしてみること」


それ自体が、もう立派なアートなんです。



作品は「完成した」と作者が手を離したら、
“新しく生まれ変わる”んです。

観る人の数だけ解釈があり、
そこから自由に物語が広がっていく。


私たちはつい
出来上がった“完成品”の
上手さばかりを気にしがちです。
でも実は、
「描く途中のモヤモヤや迷い」や、
「ふと訪れる気づき」のプロセスの中にこそ、
私たちの心を耕し、
人生を深めてくれる本当の力がある
…と思いませんか?
 

それって、読書をして
「自分とは違う、誰かの人生」を疑似体験して、
じわじわと心が深まっていく感覚にも、
重なる気がします。
 

時には、上手く言葉にならなくて、
心の奥に隠しておきたいような気持ち。

そんな目に見えない「隠したい気持ち」さえも、
さまざまな方法で表現に変えて、
紡いできたんですよね。


目に見えないけれど、
誰の中にも、きっとある
言葉にならない…なにか。
そのなにかを
…追い出す?
…それとも、共存していく?

 

 

     やわらかな躍動:跳ねる