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um gereizt zu werden

ダイエットや美容、ニュースや育児等幅広く書いていきます。

抽選当たったことある?ブログネタ:抽選当たったことある? 参加中
私はある
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フリュープライズさんの公式ホームページでねむネコが抽選で当たるとあったので試しに応募したら、本当に当たりました。

フリューさん、本当に有難うございました!大切にしています♪(๑ᴖ◡ᴖ๑)♪

ねむネコが好き過ぎて、ねむネコ化している…。

初詣の願い事がねむネコと同じと知った時、他人と思えなくなりました。

唐揚げ大好きだし。暇さえあれば、寝ていたいし。

近くでグリーティングイベントがあれば、また行きたいです。
抽選当たったことある?
  • ある
  • ない

気になる投票結果は!?

辛い思いをしている人達を見て、思う事がある。生きていれば、それだけで勝ちなんです。自殺という名の他殺をすれば、勝ちではないんです。生きて、生きて、生き抜く。最後に、苛めた奴らを笑ってやる。貴様らの思い通りになってやらなかったとね。少なくとも私は、そうして生きてきました。

苛められると、気が弱くなります。生きている事から逃げたくなるのも、分かります。だけど、自分が死んで喜ぶ奴がいる。それが、私は面白くなかった。だから、最後まで抗ってやろうと思いました。死んだら、奴らの思い通りになってしまう。死に逃げは、敗北です。私は、そんな奴らに絶対負けたくない。

自分の人生を生きる為に、弱音を吐いてもいいんです。それに対して無茶苦茶な事を言う人は、弱い者苛めしか出来ない弱い人なんです。貴方の言う通りかもしれないと軽くあしらい、心の中で可哀想な人くらいに思っていればいい。私はそう考える事で、自分の人生を勝ち取りました。勝利したのです。

酷い事をした人は、酷い事がいつか必ず返ってくる。当人に返るか、当人の近しい人に返るか分かりませんが。それが、報いです。酷い事をした人の末路を聞く事があれば、自分を苛めたからだと思って、自分の中で終わりにする。そうしないと、いつまでも酷い事された人が可哀想だ。

苛めや虐待に勝利したのに、いつまでも被害者でいてやる必要はないのです。苛めや虐待のサバイバーの最大の課題は、被害者で居続けない事です。これが、物凄く難しい。私も、かなり苦戦しました。

一人で頑張らなくてもいい。あとは、周りがどう支えてやるか。それも、課題だと思います。苛めや虐待で傷付いた心身は、そう簡単に癒えない。苛めや虐待から解放されても、自身の心の傷に耐えきれなくて死んでしまう人もいる。

それは、失ったものの大きさと虐待から逃れられないと絶望して、死んでしまうからだ。死ぬ前に、自分は本当に全力で生きてきたのか自分に問うべきだと思う。

何故、全部取り戻さないとダメなのだろう?失ったものや奪われたものを再確認してこそ前進出来るのなら、文句言ってばかりで立ち止まってはいけない。囚われてばかりいると、本当に取り戻したいものも取り戻せなくなる。それこそ、虐待加害者の思う壺だ。

私も奪われたものを全部取り戻したいと思っていた。でも、全部は無理だった。だから、新たに作った。私が欲しかった優しい記憶を、私の家族と一緒に作って貰った。家族以外に、沢山の人達から温もりも得られた。奪われたものを取り戻すばかりでなく、新たに作る努力が必要。

何故、そんな事をしなくてはならないのだろう。育ての親がきちんと愛情を注いでいれば、私はこんな風にならなかった筈だ。全部、育ての親のせいだと思っていた。しかし、それこそ虐待加害者の為だったと気付いた。私は、誰かの為に生きているのではない。自分が生きたいから、生きているのだ。

自分の生き死にまで虐待加害者のせいにしていたら、私はいつまでたっても”虐待被害者”から抜け出せない。私は自分が自分らしく生きたいと願う意志を、信じる事にした。それが、虐待被害者から抜け出す大きな力になった。

もう一つ重要なのが、一般常識である。虐待被害者の常識と世間の常識には、大きな隔たりがある。私は、育ての親に教えて貰えなかった事を沢山の人達に教えて貰った。中には聞くには恥ずかしい事もあったが、知らないんだから聞くしかないと開き直った。それを教えてくれたのは、旦那だった。

一般常識を学んでいく内に、奪われたものを全部取り戻すっていうのは、虐待加害者の考え方と似ている事に気付いた。盗られたから盗り返すというのは、一つの方法に執着している証拠である。即ち、自分のものの見方が”加害者”と”被害者”しかないという事だ。そこには、第三者がいない。

虐待は、加害者と被害者だけで成り立つものではない。傍観者という三者で成り立っている。苛めで考えると分かり易いかもしれない。現実の第三者を、自分の意識に作り出す。私は傍観者という第三者を自分に作り出す事で、自分に何があったのか冷静に見られるようになった。

フラッシュバックしても、傍観者を利用する事で段々平気になっていった。虐待被害者は、加害者と被害者の二者関係だと刷り込まれるが、そうではない。地域住民という第三者がいるのに、それを虐待加害者が虐待被害者を孤立させる事で二者関係にさせてしまっているのだ。

暴力を奮うのは愛情のしるしだと、愛情という言葉でカモフラージュした凶器を虐待被害者に突き付けているだけである。要は、脅しで加害者に意識を向けさせているのである。虐待加害者にとって、被害者を助ける英雄的な存在である第三者は脅威だ。自分の狂った世界を壊す破壊神のように見えるのだろう。

だから現実で第三者を拒み、虐待被害者の意識に第三者の侵入を絶対的なまでに阻止する。虐待被害者を虐待に執着させる事で、虐待加害者の意のままにする。それが虐待の目的である。虐待被害者が孤独であればあるほど、虐待加害者は喜ぶ。

虐待加害者が死んでも、虐待被害者が過去の虐待に囚われる理由である。虐待は、虐待被害者の魂を半永久的に拘束する事である。

この構図を徹底的にぶち壊せば、虐待に打ち勝てる。

虐待や苛めという、銃弾が飛び交う戦場のような世界で生きて、生還する強さを持った人なら、必ず出来ると私は信じている。


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