現代における家族の必要性を考えると、まずコミュニケーションがあげられるでしょう。なぜならば、我々は今コミュニケーションが欠如しているからです。数十年前は、食卓は家族全員で囲む事が当たり前でした。しかし、今は子供の孤食が問題になるほど、家族で一緒に同じ皿のご飯を食べない家庭が多いです。
そして、コミュニケーションを補うことで家族と過ごす時間が増え、お互いをさらに知ることができます。
しかし、女性の社会進出や塾通いの子供が増えた結果、家族が共にし、コミュニケーションをとる時間が失われつつあるのが現状です。
我々が希薄化しつつある家族の絆を形成し直すには、コミュニケーションを補うことが必要であると考えられます。
ある文化の中心的な事柄とその文化に固有な個人間のコミュニケーションのあり方は、極めて緊密に関係している事が、文化人類学者などを中心に以前から注目されてきています。例えば日本なら、お正月におせちを食べるといった民族的な習慣です。
こういった背景から、文化を「コミュニケーションのシステム」(エドムント・リーチ)と理解したり、「文化とはコミュニケーション」(エドワード・T・ホール )だと語られたりします。
この場合、「文化」は個人の人生、生活や世界に対する見方、期待や行動の仕方など、その人にとって「当然」とか、「常識」と思われるものを指すものと考えられています。したがって、共通の文化を持つ人々は、物事や行為を同じように理解し、似たような仕方で行為する、あるいは、そうでない場合にも、少なくともその意味を理解しうる。 言語学者ソシュールは、パロール(話すこと)は、ラング(言語体系・規範)を前提にし、それに基づいて行われ、逆にラングは、パロールによって再生産されるという仕方での相互依存関係を強調しましたが、これをさらに普遍化して、コミュニケーション行為と文化・社会規範との相互依存関係を語ることができます。難しい言い方をしましたが、コミュニケーションは言葉によって図られ、コミュニケーションを図る上で、その国や民族のルールに基づいて行われるのです。
我々は、文化・社会規範を前提にした、様々なコミュニケーションを通じて何事かを偽しているわけですが、それは同時に文化・社会規範を制度的に再出産していることなのです。
我々の行動・行為は、何らかの文化を背景にして行われているのですが、とりわけコミュニケーション行為の場合は、他の行為の場合に比して極めて深く文化との相互浸透があるといえます。
我々がコミュニケーションといった行動をとれば、同時に文化も作りかえられるのです。思ったこと、感じたことを表すコミュニケーションは、そもそも何らかの文化を前提にしなければ成立することはできないと考えます。
そして、その文化に変化がある近年コミュニケーションにも変化が起きているにちがいないと結びつけることができると私は思います。その文化とは、女性による社会進出などがあげられます。
その結果、前述した通り家族の中のコミュニケーションが欠如してしまっていると言えます。
したがって、文化はコミュニケーションであると同時に我々の家族にまで悪い影響を与えていると言えます。しかし、文化は進歩していくものです。我々は、それと同時に自分達でコミュニケーションをする場を設け、コミュニケーションを増やすように意識しなければなりません。それこそが、コミュニケーションの必要性であり家族への新たな意識へと繋がるのです。
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