第23回 課題 「カメラ」
カメラマジック
あべせつ
魔の二歳児と世間で言うが、本当にそうだ。
「もう! どうして、そんなことばかりするの! 少しはお利口さんにしてちょうだい」
こんな風に怒鳴るのも、今日は何度目だろう。ほとほとイヤになってくる。当の雄太は叱られ慣れてしまって、どんなに私が声を荒げても、どこ吹く風である。
「ママの言うことが聞けないんだったら、パパに叱ってもらいますからねっ」
「セイヤー、トオーッ」
聞いているのか、いないのか、雄太は、変身ヒーローの物真似をしている。こんな毎日が半年も続いていて、私のイライラはもう我慢の限界まできていた。
「ねえ、たまには、あなたも雄太の相手をしてよ。私一人だと大変なのよ。今日だってねえ……」
午前様でようやく帰宅した夫を、玄関で出迎えた私は一気にまくしたてた。
「おいおい、勘弁してくれよ。俺はもう、クタクタなんだよ。その話は、また今度な」
そういうと、そそくさとバスルームへ逃げ込んでしまった。いつも、こうだ。夫が疲れていることぐらい、わかってる。でももう、私だってクタクタだ。
翌朝、久しぶりの快晴になった。私はお砂遊びセットの入ったバケツを持って、雄太を隣町の公園に連れ出した。住宅街の中にあるその小さな公園は、遊具が少ないせいか、いつも閑散としている。ママ友がいないのは淋しいが、自宅近所の公園で古参のママ友たちに意地悪された身としては、少し遠いがわざわざ足を延ばしてでも、一人の方がはるかに気楽だった。雄太は、公園に着くなり、お砂場に駆けていき、さっそくスコップで砂を掘り返し始めた。しばらくは、おとなしく遊んでいたのであるが、そのうち砂を両手ですくい、天に向かって放り上げ始めた。
「これ、やめなさい。砂まみれになるでしょ」
二人して頭から砂をかぶり、服がジャリジャリしてくると、私の堪忍袋の緒はとうとう切れてしまった。
「いい加減にしなさい!」
雄太の尻を引っぱたこうとした手を、ふいに誰かにつかまれた。
「な、なに?」
「ねえ、落ち着いて。気持ちはわかるけど、叩いちゃだめよ」
驚いて振り返ると、若い女が微笑んでいる。まあるい笑顔だった。
「ほら、義彦、あんたも一緒に遊んでおいで」
雄太と同い年ぐらいの男の子が、お砂場へ飛び込んでいき、二人で何やら遊び始めた。
「びっくりしたでしょ。突然、ごめんなさいね」
「あっ、いえ、こちらこそ。お恥ずかしいところをお見せしちゃって」
「ううん、私もそうだったもの。わかるわ」
初めて出来た気の合うママ友に、私は子育ての悩みを打ち明けた。うんうんと親身になって聞いてくれた康代さんは、話を聞き終わると手にしたデジカメを私に見せた。
「イライラしたらね。カメラを覗くといいわよ」
「カメラ? 写真撮るの?」
「うん、撮ってもいいし、ただ覗くだけでもいいのよ。騙されたと思ってやってみて。カメラマジックよ」
その日、半信半疑で帰った私は、取り込んだばかりの洗濯物の上で大暴れしているチビ怪獣を、言われた通りカメラ越しに覗いてみた。
「あっ」
見えたのは、大興奮しながら楽しそうに笑っている雄太の顏のクローズアップだった。
「なるほど、こういうことだったんだ」
いつも、イタズラばかりに気を取られて、ちゃんと雄太の顔を見ていなかったことに気が付いた。改めて覗いてみると、視野が狭くなる分、客観視ができるせいか、チビ怪獣の仕業が面白おかしく見えてきた。私は夢中でシャッターを切った。
「お帰りなさい。ねえ、見てみて」
私は、今日撮った雄太のイタズラ画像を夫に見せた。
「あははは。なんだ、こりゃ。雄太のやつ、面白いことしてるなあ」
「でしょ? 今日、公園でもね」
夫と、こんな風に笑い声を立てながら話すなんて、何か月ぶりだろう。
それに「楽しそうだな。俺も今度の休みに一緒に行くよ」なんて言い出すとは、ほんとびっくり。
次の日曜には、またあの公園にカメラを持って行こう。パパとしての成長も記録してあげなきゃね。 完
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課題が「カメラ」で、「写真」ではないことに、とらわれてしまい
かなり遅くなってしまいました"(-""-)"
しかも子育てしたことがないので、かなり100%妄想世界であります(笑)
リアリティがないかもです
課題「グッドバイ」
グッド・バイ
あべせつ
英語のご挨拶にはグッドから始まるものが多い。グッドモーニングは「良い朝を」、グッドナイトは「良い夜を」、グッドアフタヌーンは「良い午後を」、直訳すれば、そのままの意味である。
ならば、グッドバイ。「良いバイを」とは何なのか?と調べてみたら、これがグッドにもバイにも全然関係なくて驚いた。good―byeの原型は、God be with ye (神のご加護がありますように)の短縮形なのだそうだ。
なんで突然、日常のご挨拶に神がお出ましなさるのか?と思いきや、本来は「もう会うことがないかもしれない」という、お別れを告げる時に使う言葉なのだという。
グッドバイと聞くと、さとうよしみ作詞・河村光陽作曲の童謡「グッド・バイ」の歌詞が頭に浮かぶ。グッド・バイ グッド・バイ グッド・バイバイという、あの昭和生まれには馴染み深い旋律の歌である。
今までは、特に何の感慨もなく聞いていたが、グッドバイが別離の意味だと知ると、とたんに物悲しい思いに包まれた。童謡は子供の声で歌われているのだが、この子が歌詞に出てくるとうさんや、ともだちや、子犬や、おばさんや、あかい夕日に、もう二度と会えないような気がしたからだ。それは私自身が震災を体験したからかもしれない。
ある日、突然、大切なモノを奪ってしまう戦争や震災や事故や犯罪などとは、生涯グッド・バイしていたい。
課題「交通安全」
交通危険 あべせつ
今年は、昨年度よりも交通事故件数が減っているという。とはいえ、その数四十万件超。死亡者数は三千人である。これを見れば、『交通安全を心がけましょう』などと悠長なことは言っていられない。『交通危険』と言い換えるべきなのである。
一歩玄関を出ずれば、死地に赴く覚悟して、頭には兜の代わりにヘルメットを冠し、全神経をとがらせていて、ちょうど良いくらいなのである。
冗談ごとではない。私は車にも乗るが、自転車にも乗る。歩行者にもなるので、すべての人の立場はわかる。その上で申し上げるのであるが、一番厄介なのは、自転車での交通ルールを守らない人なのである。
夜間、暗い色の服を着て、無灯火で逆走、おまけにヘッドホンをして、スマホをいじりながら片手運転している自転車が、曲がり角から突然現れ、こちらにすごいスピードで突っ込んで来るのを見ると、肝が縮みあがる。
思わず窓を開けて、「死にたいんか! このバカチンが!」と怒鳴りそうになる。
事故を起こせば、いつも車が悪者になるが、そうとばかりも言えないのである。
ルールを守るのは、自分や家族の命を守るためだということを、老若男女全員にわかってもらいたい。情けは人のためならず。交通ルールも、ただのお題目ではない。