あの日、見送りに行った美雪に、迎え入れる支度があるから二、三日後においでと言い残し大樹は里へ帰っていった。
その翌日、大樹の訃報が届いた。
乗っていた夜行バスが雪道に不慣れな対向車に追突されたのだと、広樹からの電話であった。ショックで倒れた美雪が目覚めたとき、故郷で行われた葬儀は既に終わっていて参列することができなかった。
大樹と共に帰郷すべきだったという深い後悔、最後を見送ってあげられなかった無念さ、何よりも大樹を失った喪失感に心を閉ざした美雪は、大学も休学したまま実家に引きこもってしまった。
そんなある日、陽子から一通の手紙が届いた。大樹の一周忌の法要のお知らせを印した葉書と共に、数葉の便箋が同封されていた。
そこには、法要とはいえ堅苦しく考えずに気軽に遊びに来てほしい。ご両親様から美雪さんのご様子を伺って私も広樹もとても心配している。遠方にて大変に申し訳ないけれども、できれば元気な姿を見せてほしい。
そういった内容の優しい字面でしたためられた手紙を何度も読み返すうちに、固く凍っていた美雪の心が解け始めた。
*
三人だけの静かな法要であった。
深夜、皆が寝静まっても、美雪はベッドには入らず窓からの雪景色を見ていた。明日にはもうここを去らなければならない。ほんの少しでいい。大樹がわたしに見せたかったもの、それを見出したかった。
「大樹、大樹もここからこうして景色を見ていたの?・・・・・・あ、雪」
今日一日がまんしていた厚い雲から、こらえきれなくなったように雪が降り始めた。美雪は皆を起こさないように気を付けながら、そっと玄関を出ると雪の上に寝転び空を見た。
門灯の明かりに闇が切り取られて、ゆっくりと舞い落ちてくる雪が見えた。それをずっと見ていると、自分の身体が横たわったまま空へ昇って行くような気がして思わず天に向かって手をのばした。
(このまま大樹さんのところへ行きたい。雪の中に埋もれて死ねるならそれでもいい)
美雪は静かに目を閉じた。
その時、美雪を呼ぶ声が聞こえた。
「大樹?」
美雪は飛び起きて声のした方角に目をこらした。ペンションの敷地につながる林の中、ひときわ大きいブナの木陰にたたずむ人影が見えた。見覚えのある白いダウンジャケットを着ている。
「大樹なの?」
その人影は美雪が気づいたのを確認すると山頂に向かって歩き始めた。美雪はあわてて後を追った。降りしきる雪の中、月のない夜なのに不思議と当たり一面の積雪がほの白く光って薄明かりを発していた。まだ誰も踏み入れていない雪は柔らかく、スノーシューをはいた足が沈んでいく。大樹を見失うまいと必死に追う美雪の耳には、自分の荒い息と雪を踏みしめる足音だけが聞こえていた。
しばらくすると、その人影は立ち止まり美雪の方に向き直った。
「大樹!」
その時、雲が切れて一条の月の光が大樹の足元を照らし出した。
「これは・・・・・・なんてすごいの」
それは山肌一面に広がる水仙の群生だった。雪を割りすっくと立ち上がる凛々しく力強いその姿。美雪はその荘厳さに息を呑んだ。
気がつくと大樹の姿が消えていた。
「大樹! わたしを置いて行かないで」
「美雪、僕はここにいるから。ずっとここにいるから」
降りしきる雪の中に、大樹のかすかな声が消えて行った。
「大樹。これなのね、わたしに見せたかったのは」
雪は奪うだけじゃない。命も育むんだわ。
美雪はこの地で生きて行こうと、力強く雪を踏みしめ立ち上がった。 完