金の蓋、銀の台 あべせつ
夜行バスを降りたとたん、白い光に身体が包み込まれた。細い脇道の両側に除けられた雪の壁が、雲の割れ目から滲み出た朝日に反射して青白い燐光を放っている。一晩中暗い車中で過ごした美雪には、その淡い光すらもまぶしく感じられて思わず目を細めた。雪塊の奥底から際限なく湧いてくる清々しい冷気は、効きすぎる暖房とよどんだ空気に浸された肺に心地よく、美雪は大きく息を吸った。
乗客たちが各々に次の目的地へと散って行き、今はもう空となったバスの後ろ姿を見送ると、あとには美雪一人が取り残された。のぼせた身体が鎮まると、今度は足元から寒さが這いあがってきた。足の小指がみるみる凍りついていくような気がして、美雪はその場に居たたまれず迎えの車を本通りまで出て待とうと歩き始めた。
*
あれはちょうど一年前の冬休みだった。
「急な話なんだけど俺、明日から久しぶりに里帰りしようと思うんだ。春からはこっちで就職だから当分帰れないしさ」
美雪の恋人・星野大樹は大学の同級生だった。自転車好きが高じて、一年中乗ることが出来る温暖な関西へと遊学しに来ていたのだ。
「それはいいことだわ、たまにはご家族にも元気な顔を見せてあげなきゃ。雪国の冬はいっぱいお手伝いすることもあるんだろうし、ちゃんと親孝行して来なさいよ」
「そこでなんだけど美雪も一緒に来てもらえないかなあ。家族に会って欲しいしさ」
「ええっ、わたしも? それはいいんだけど、お母さまにお会いするなんてドキドキしちゃうわ」
「大丈夫、大丈夫。気さくな母親だし兄貴もいるし。それにさ、あっちで美雪に見せたいものがあるんだよ。今の時期じゃないと見られないから」
「見せたいもの?」
「それは見てのお楽しみ」
まさかこれが、大樹の笑顔を見る最後になるとは思いもしなかった。
*
本通りへの交差点まであと少しというとき、脇道に入ってきた一台の車が美雪の横を通り過ぎるとおもむろに停まった。振り向いた美雪に、運転席のドアを開けて半身を乗り出した青年が声をかけてきた。
「小野さん、小野美雪さんですか?」
「あっはい、そうです。大樹さんの?」
「はい、兄の正樹です。お待たせしました」美雪はあわてて車へ駆け寄ろうとして、足をすべらせよろめいた。
「危ないから走らないで。そこで待っていて
ください。今Uターンしますから」
横付けされた車から降りてきた正樹は助手
席のドアを開け、美雪にどうぞと促した。
車内は暖房が効いていて、冷え切っていた
美雪の身体を温め始めた。
「寒かったでしょう。だいぶ待たせてしまいましたね。すみません」
「いいえ、とんでもないです。バスが予定よ
りずいぶん早くに着いてしまったので。わたしのほうこそ、お忙しい時期ですのに甘えて
しまって申し訳ありません」
「大丈夫ですよ。明後日まで予約は入れてないんです。お気になさらずゆっくりして行ってください」
車は大通りを抜け、山を目指してゆるやかな上りをたどり始めた。最後の人家が切れると道は圧倒的な白の世界に突入していった。
「すごい雪でおどろいたでしょう」
「はい、こんなにたくさんの雪は生まれて初めて見ました」
「スキーなどはされないのですか?」
「ええ、寒いのが苦手なので」
「暖かい地方の方には、この寒さはこたえるでしょうね」
正樹の声音や横顔に大樹の面影を感じて、美雪はこみ上げてくる嗚咽を抑えようとひたすら窓の外をながめた。雪をかぶった濃灰色の木々のシルエットが車窓に延々と流れては消えていく。モノクロ写真のような風景は今の美雪の心にぴたりと合って不思議な安らぎをもたらしていた。
山の中腹に差しかかると、広樹は山道を離れ、林の一角を切り開いた空き地に車を乗り入れた。
「美雪さん。着きましたよ。ここが白銀荘です」
小さな二階建てのペンションは雪下ろしがされたばかりらしく、その屋根が赤い色であることを懸命に主張していた。
「ただいま、母さん、美雪さんをお連れしたよ」
「は、はじめまして。小野美雪です。この度はお誘いいただきましてありがとうございます」
「まあまあ、遠い所をようこそおいで下さいました。寒かったでしょう」
「母さん、ご飯できてる? お腹がペコペコだよ」
「はいはい、出来ていますよ。広樹、まずは美雪さんをお部屋にご案内してちょうだい。美雪さん、荷物を置いたら食堂にいらしてくださいね。まずは腹ごしらえをしましょう」
人の良さそうな大樹の母・陽子の円い笑顔に、美雪の緊張はたちまちほぐれていった。
*