七時一分前
あべせつ
朝、目を覚ますとすぐ枕元に手を伸ばす。まちがいなくそこにある固いプラスチックのかたまりに触れると、手探りにボタンを探してグイと押す。
時刻は七時一分前。その目覚まし時計の文字盤に描かれたイラストのヒーローが出番をなくされて、ふてくされているようにも見えた。
(よしよし、今日も勝ったぞ)
えも言われぬ満足感がふつふつと込み上げてくる。
『七時にセットした目覚まし時計よりも先に起きる』
子供の時に決めたこの決まり事を、ボクはもう何年も続けていた。
新一年生の春、「もう小学生なんだから、これからは自分で起きなさいよ」と母親が目覚まし時計をプレゼントしてくれた。
当時流行っていたマンガのヒーローが、おしゃべりして起こしてくれるという目覚まし時計だった。それを見ていた父親が「タロウはそんなもんじゃあ、起きないぞ。もっとでっかいお寺の鐘の音が鳴るぐらいのやつじゃないとなあ、はっはっはっ」とからかった。
その言葉にカチンときたボクは「こんな目覚まし時計なんか無くったって、ちゃんと起きてみせるよ」と言ってしまった。
「へええ、ほんとかよ。一か月間、目覚ましにもお母さんにも起こされず自分で起きたら、なんでも好きなものを買ってやるぞ」
「ええっ、ほんと?お父さん。約束だよ」
それからの毎日は、目覚まし時計の鳴る前に起きることに全精力を費やした。何があっても夜九時には寝る。見たいテレビがあっても、したいゲームがあってもがまん、がまん。
寝る前には「七時前に起きるぞ、起きるぞ」と呪文を唱えながら目覚まし時計をセットした。
(これが鳴ったらボクの負けだ)
なんとなく父親に挑戦している気分だった。
「タロウ、このひと月の間、よく自分一人で起きられたなあ。えらい、えらい。これからもちゃんと続けるんだぞ」
喜んだ父親が約束通りボクにプレゼントを買ってきてくれた。それもうれしかったが、
明日からは朝寝坊ができるという解放感に満ちた喜びのほうが大きかった。
ところが、である。習慣とは恐ろしいもので、夜更かしをしようとするが夜九時になると睡魔におそわれ寝てしまう。そして朝は目覚ましよりも先に起きてしまうのだ。
(そういえば、この目覚まし時計、何かおしゃべりで起こしてくれるんだったよな。どんなことを話すのかなあ)
買ってからまだ一度も鳴らしたことがないことに気が付いた。聞こうと思えばいつでも聞くことはできる。音声スイッチさえ入れれば済むことだ。でもなぜか、そうしてしまうのはもったいないような気がした。
(よし、どうせ自分で起きちゃうんだから、どこまでこいつにおしゃべりさせずにいけるか、やってみよう。今度はこのヒーローに挑戦だ)
それからも毎日、目覚ましよりも先に起きた。時刻は決まって七時一分前だった。
一年が過ぎ、二年が過ぎ、とうとう十二年が過ぎた。中学生になっても高校生になっても大学生になっても、依然目覚ましは沈黙を続けた。そりゃあ、そうだろう。ボクはそのために多大なる犠牲を払ってきたのだ。部活にも入らず、彼女も作らず、友達すら作らなかったのだから。それらはみな、ボクにとっては規則正しい暮らしを邪魔するものでしかなかった。
しかし、ここで大きな障害が現れた。就職である。仕事となれば、今までのように付き合いをことごとく避けたりはできないだろう。残業や早出もあるだろう。記録はよもや、ここまでかとあきらめかけたとき、一つの天啓がくだった。
(そうだ。なにも会社務めをするばかりが仕事じゃない。自営業という手もある)
ボクは卒業と同時に小さな会社を興し、なんとか口を糊することができた。これでまだ記録を更新することができる。
それから幾星霜。今や目覚まし時計の色は呆け、文字盤は茶黄ばんで時刻も読み取りづらくなっている。
そしてボクは今、臨終の床にいる。だれも看取ることのない孤高の老人だが、悔いはない。今日で三万日目。もう思い残すことはない。もうすぐ朝がくるだろう。あの世の土産にヒーローのおしゃべりでも聞いていくか。