課題「そこはかない不安」
『恋占い』 あべせつ
愛してる、愛してない、愛してる、愛してない・・・・・・。
ある日、幸恵はそうつぶやいている自分の声に気がついた。花占いに似せた自己流の占いで、たとえば床にこぼした数粒の豆を拾い上げるときにも、洗濯物を次々とピンチで止めていくときにも、さらには信号待ちの間、前を行き過ぎていく車を目で追うときも、つまりは何をしていても今までは呪文のようにこの占いを心の中で繰り返していた。
愛してる、愛してない、愛してる、愛してない・・・・・・。
どちらの卦になろうとも、心が休まることはない。愛してると出れば、本当にそうだろうかと疑い、否となれば《やはり》と心が落ち着かない。日に何度も繰り返す自分に疲れ果て、もう止めようと思うのに止めることができない。いつしか思いは心の中にあふれかえり、口からこぼれるようになってしまったらしい。
ある時、リビングにいる拓也の携帯の着信音が鳴るのが聞こえる。キッチンにいる幸恵は洗い物の手を止めて耳を澄ます。
「ああ、久しぶり、どうしたの」
ひときわ明るい拓也の声に胸がドキンとなる。急にテレビのバラエティ番組の音が大きくなり、話し声が聞き取れなくなった。幸恵は急いで水栓を閉めると、全身を耳にしてその場で硬直する。
閉まりきらない蛇口からぽとりぽとりと水滴が落ちる。
愛してる、愛してない、愛してる、愛してない・・・・・・。
「じゃあ、また」
そこだけが聞こえて、幸恵は洗い物もそこそこにリビングへと急ぐ。拓也は何事もなかったかのようにテレビを見ている。
「どなたかから電話?」
「うん、友達」
拓也は大して面白くもないテレビの画面から目を離さずに答える。
「ねえ、コーヒー入れてよ」
今度は幸恵の顔を見ながら甘えるように言う。幸恵はそれ以上問うことができずダイニングへと向かう。
朝起きたら拓也がいなくなっている。置き手紙の一つもなく。そんなイメージがいつも付きまとう。
《自分はあの女よりも愛されているのだろうか》
拓也の前の同棲相手は、なかなかにしたたかな女で、まだ若い拓也を翻弄するだけして、他の男に乗り換えて消えた。絶望し弱りきった拓也に甘言を労し、同棲を迫ったのは幸恵のほうだった。自暴自棄になっていた拓也はそのまま幸恵のもとに転がりこんだ。
またいつ何時、あの女が拓也を思い出して電話をかけてくるとも限らない。気まぐれな女。今の男と切れたり、金に困れば昔の男のことを平気で利用するタイプの女狐。
そして棄てられたはずの男は尻尾を振ってまた彼女に媚びを売るのだ。
「彼女から電話があったよ」
幸恵と同棲を始めて間もなく、拓也が事もなげにそう言った。
「彼女、なんて?」
心臓が凍りつきそうになりながら、やっとの思いで聞いてみる。
「出なかったから、わかんないよ」
「着信拒否したら?」
「いいよ。ほうっておけば」
拓也はなぜ彼女の電話番号を消去しないのだろう。
人は、愛されている実感をどうして得ているのか。拓也が幸恵に冷ややかであったことは一度もなかった。むしろこの上もなく優しい。幸恵がいかに恋愛にうとくても、まるきり鈍感というわけではない。拓也からのいたわりや心配してくれる気持ちは十分に感じられたし、心底油断して甘えているのもわかっている。
「わたしのどこが好き?」
「ううん、真面目なところかな」
「他には?」
「ええっと、一生懸命に働くところ」
「そんなんじゃなくて」
「なんて言ってほしいの?」
困惑した顔の拓也が問う。
愛してる、愛してない、愛してる、愛してない・・・・・・・。
沈黙の中、幸恵は心の中でつぶやき続ける。 完