鬼灯堂奇譚 2 | あべせつの投稿記録

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〈十五夜 子の刻・鬼灯堂〉


まるで人目を避けるかのようにその店はあった。裏路地は暗く静まりかえり、突き当りのその店の灯りだけが道に漏れている。軒先に掲げられた大きな看板に《和蝋燭 鬼灯堂》と金文字で刻印されているのが、月明かりに照らし出されて見えた。


「こんな夜中に営業されているのですか」

「ほら、これ見てみ」

不安げに問う女に、青炎は入口の立て板を指さした。そこには《営業時間 逢魔が時より丑三つ時まで》と墨痕鮮やかにしたためられていた。


「輝さん、いてはる?」

表から声をかけ、青炎がその店の格子戸をガラリと開けると、輝さんこと輝夜は入り口を入ってすぐの作業場でろうそくの絵付けをしているところだった。

「あ、いるいる、さあ入って」

青炎は女を中に招き入れた。


「なあ輝さん、この人の話、聞いたってえなあ」

輝夜は手にした筆を静かに置いて立ち上がると、奥座敷へ二人を手招いた。ふすまを開けると床の間のある広い和室に照明器具はなく、時代物の燭台に立てられた錨型のろうそくの灯りが四隅にゆらぎ、外界とは切り離された特異な空間となっていた。


「大丈夫やから、はよ入りい」

 先に座卓についた青炎が手招きをすると、女はおずおずととなりに座った。

「こちらは鬼灯輝夜さん。このろうそく屋さんのご主人ね。色々と悩み相談にのってくれはるんよ。それからこちらは、わたしのお客さんで、ええっと」

「白河洋子と申します」

「そうそう、洋子さんやったね。でね、輝さん、洋子さんは、ある人を呪い殺したいんやて」

「せ、青炎さん、そんないきなり」

「大丈夫よ、輝さんはそんな相談には慣れてはるから」

 

輝夜はにこりともせず、まっすぐに洋子を見つめている。

「あなたは、だれを、どうしたいのですか」

 今宵初めて発された輝夜の声は、低くおだやかで聞く人を心底安心させる温かさがあった。

「夫の心を」

ろうそくの炎がじじじっと音を立て、大きくゆらいだかと思うと一筋の煙が上がった。

 洋子は深く息を吸うと一息に吐き出した。

「お義母さんを殺して、夫の心を取り戻したいのです」

 


〈十五夜 夜半・月夜道〉

 帰る道すがら、洋子は先ほどのことを思い出していた。

「あんな話を初対面の人にして、わたしったら」

 

鬼灯堂の暗い奥座敷の中、温かいオレンジ色のろうそくの揺らぎを見つめていると、不思議なことに固く凍りついていた自分の心が解け始め、それが濁流となってあふれ出てくるのを感じた。


「殺したいやなんて、また物騒なことを言いはるわ。そやけど旦那さんの気持ちを取り戻すのに、なんでお姑さんを殺さなあかんの」

「武史さんは気の優しい人で、とても母親思いの人なんです。でもお義母さんが一年前、突然倒れて寝たきりになられてからは、人が変わったようになってしまって。近頃では外に女の人を作って家には帰って来なくなってしまいました」

「そんなん、全然優しくないわ。母親の面倒を洋子さん一人に押し付けて、自分は逃げるなんてありえへんわ」


「ええ、でも夫の気持ち、少しわかるんです。お義母さんはお元気なときにはとても毅然とした方でした。なんでもご親戚が大学教授や弁護士やお医者様というエリートのご一族だそうで、お義母さんご自身もとてもプライドが高かったのです。だからこそお義父さんが早くに亡くなられて片親となった武史さんに、よその子にひけは取らすまいと小さい頃からとても厳しくしつけられたようで。武史さんは、『同級生たちのように両親に甘えられなくて寂しかった。人に甘えられたのは洋子が初めてだ』と言っていました。でもその反面、学校や地域の活動にも精力的に参加されて、社会貢献をされているお義母さんの姿に憧れもしていたようです。ところが」


「ところが、そのプライド高いお母さんが寝たきりになったということやね」

「はい。お義母さんがお元気な時には、わたしたちは勘当されていましたので、別々に暮らしていました。でも、寝たきりになってしまって、そんなことを言っている場合ではなくなったのでしょう。一人息子の武史さんが呼び戻されたのですが、わたしは連れて来るなと。でも武史さんがわたしも一緒でないと帰らないと条件を出されたので、お義母さんもしぶしぶ同居をお許しになったのです」


「勘当って、また、なんでやの?」

「わたしは再婚で武史さんは初婚なんです。歳も武史さんより5つも上で。家柄も資産も学歴も何にもありません。前の主人とは死別してからは身寄りもありません。武史さんと出逢ったのが、スナックでアルバイトしていたときで、武史さんはお客さんだったんです。それをわたしが正直に話したことが、お義母さんの逆鱗に触れまして。『そんな人はうちの大事な跡取り息子の嫁にふさわしくない。結婚は絶対に許さない』と大反対なさいました。それを武史さんが強引に押し切ったので、世間体を気にするお義母さんから勘当されてしまったんです」


「それはなんかお姑さんの都合のいい話やんね。気に入らないから勘当。寝たきりになったから戻ってこいなんてさあ。そんなん、ほっといたらええのに」
「ええ、でも、やはり武史さんにとっては実のお母様ですし、わたしとのことがなければ勘当になんかならなかっただろうし。わたしのせいで武史さんまで天涯孤独にしてはいけないと思っていたところでしたから、今回の同居はむしろチャンスだ。少しでもお互いの溝が埋められたらと思ったんです。でも結局それは甘かったんです」


「嫁いびりが始まったんと違うの」

「はい、でも嫌味を言われることぐらいは覚悟の上でした。問題は、あれほど活動的で毅然としていらしたお母様が自室に引きこもられたままで、一歩も外には出ないのです。部屋の窓もカーテンも閉め切られたきりで、空気も入れ替えさせてくれません。それに何日もお風呂に入らず、着替えもせず、ただただベッドで一日ぼうっと過ごしておられるだけなんです。動かないせいか食事も少ししか召し上がりませんし、何よりお休みになれないようで、昼夜の区別なく何度も何度もつまらぬことでわたしたちを呼ぶのです。わたしも武史さんも、いつ呼ばれるかと思うと気が張って一日中神経が休まらないんです。そのせいで、わたしたちまで眠れなくなってしまって。


武史さんも初めのころは、『病のせいだから回復してくれば元の気丈な母親に戻るだろう』と、お義母さんを元気づけるために考えられる限りのことをしてあげていたのですが、顔を見れば『もう死にたい』とか『殺してくれ』とかばかりおっしゃって。武史さんも、そんなお義母さんにほとほと疲れられたようで。だんだん家に帰らなくなってしまいました」


「どれぐらい帰ってきてはらへんの」

「もう三か月になりますか。わたしが電話しても出てくれなくて。たぶん、女の人がいるからなんでしょうけど。そうなりますとお義母さんの矛先がわたしだけに向くようになりました。『あなたに嫌気がさしたから、武史は帰って来ないのよ』とか、『さっさと別れてくれたら、もっといい嫁をもらえるのに』とか、もっとひどいことも言われます。そのくせ最近ではわたしが買い物をしにほんの一時間ほどの外出に出ることも嫌がられて、まるで軟禁状態なんです。今夜はたまたまミルクの買い置きがなかったので買ってくるように言われて。ああ、だからまたすぐに戻らなきゃ」


「そんな資産家でお金があるんだったら、ヘルパーさんとかお手伝いの人を雇えば洋子さんは解放されるんじゃないの」

「お義母さんがカーテンを開けないのは、今の自分を他人に見られたくないからだそうです。だからヘルパーさんなんてとても」

「なにそれ、洋子さんを単なるお手伝いさんとしか思ってないんとちゃうん。そんなん、なにも我慢することないやん。その鬼婆の言うとおりに離婚して、慰謝料がっぽりもらって家をでてやればいいのよ」


「それが、わたしがスナックでバイトしていましたのは、亡くなりました前の主人の借金があったからなんです。昼間はパートで働いていたんですけど、それだけでは足りなくて。 でもそのスナックで武史さんと出逢ったんです。武史さんは最初、上司の方に連れて来られたんですけど、次からはお一人でわたしに会いに来てくださるようになって。出逢って半年で求婚して下さったんです。わたし、とてもうれしかった。でもバツイチだし借金はあるしで、初めはお断りしていたんです。そしたら武史さんは心配いらないからと全額返済をしてくれて。わたし武史さんには恩義があるんです。何もかも放り出して逃げるようなことできません」


「でも、それじゃあ、恩人のお義母さんを殺すなんて、矛盾してるやないの」

「お義母さんがいる限り、武史さんは戻らない。でも、そうこうしている間に、むこうの

女に子供ができたら」

 そう言ったとたんに洋子は自分の中の迷いが消え、代わりに鬼が現れたのを感じた。


「お義母さんが、そう言ったんです。向こうの女がどんなかは知らないけれど、あなたよりはマシだろう。向こうに子供ができたら、その女を嫁に迎える。そうなったらお役御免だから出ていけって。どのみち五年も経つのにあなたには子供ができない。昔は三年子無きは去れと言われたものだ。歳も歳だからこの先も期待はできないだろうからって。子供が出来たら、もう武史さんの心は向こうに完全に移ってしまう。わたしはもう武史さんを取り返せなくなってしまうんです。早くしなきゃ、早くお義母さんを何とかしなきゃ。そればっかり考えて苦しいんです。だから」

 

涙ながらに語られる身の上話に、時々青炎が同情や非難の合いの手を入れるのに対し、輝夜は洋子の心の奥底に堆積していたモノをすべて吐ききるまで、ただ静かに聞いていてくれていた。そして聞き終わると座敷を出て行き、一本の大きなろうそくを手に戻ってきた。


「このろうそくを次の満月の夜まで、お姑さんの寝室で毎晩かかさず灯しなさい」

「次の満月まで? そんなに長い間ですか。それで本当に願いは叶うのでしょうか」

それには答えず、輝夜はもう話は済んだとばかりに作業場に戻ると絵付けをし始めた。先程とは打って変わった輝夜の人を寄せ付けない雰囲気に気圧され、それ以上尋ねることもできず半信半疑にそのろうそくを手に店を出た。


つづく