生家は、古くて広くて暗かった。
二階の私の部屋からはお手洗いが遠く、母がおまるを用意してくれていた.
幼稚園に上がると、いよいよ御手洗いへは自分一人で行かねばならなくなった。早速その日の夜中に小用がしたくなり目が覚めた。
我慢していたが、辛抱ならなくなり、しかたなく起き出してみる。
一番上の階段から下をのぞくと、そこはシンと静まりかえり暗い闇溜まりに見える。
父も母も軽くイビキをかいて寝ている。どうにも一人でがんばるしかない。えいやっとばかりに階段を駆け降り、一階の台所の横を右に折れると、神さん棚のある大広間がある。
そこは家の真ん中にあたり、昼間でもひんやりと暗い。
いつも何か得たいのしれないものがいそうな気配がするので、誰かが一緒でないと入らないようにしていた。
その大広間の障子に月明かりに照らされた庭木の影がゆっさゆっさと映っている。
その影には悪魔のような悪意に満ちた顔があり、小さい私におおいかぶさるように迫ってくる。
きゃあ怖い。お化けだあ。
一目散に御手洗いの戸を開け放し、電気をつけ、早く早くと自分を急がせ小用をしぼりだす。
昔のことゆえ、ボットン便所と呼ばれていた便器からは冷気が吹き上げてくる。そのツボ底は底なし沼のように見え、そこに住むお化けにお尻をなでられ引き込まれるのではないかと生きた心地がしない。
済むとまた、暗い廊下を走り込み、布団にもぐると体を縮めて朝を待つ。布団の中にいれば安全だ。
朝になると、母親が笑いをこらえたように手招きするとこう言った。
『せっちゃん。ちょっと来てごらん。あんまりあわててするからよ』
便器を覗いてみると、小さな赤いスリッパが片方ちょこんと落ちていた。