虎の穴 第29回 『螺旋の孤独』 | あべせつの投稿記録

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第29回課題

幻想小説(現実には怒り得ない出来事を題材にした小説、ゴシックロマン)

  『螺旋の孤独』   あべせつ


雷雨に追われ、ずぶ濡れで走る彼の前に突然、蔦に覆われた古い大きな洋館がそびえたった。


助かった。こんなところに家がある。


彼は重い扉に付いた銀の獅子のノッカーを叩いた。

しかし館は暗く静まり返っている。

見上げると鎧戸という鎧戸はすべて閉ざされ、蔦が何層にも厚く絡み、もう何年も開けられた気配がなかった。


もしや空き家なのだろうか?

もう一度ノックしようとしたとき、重くきしんだ音がして扉が開いた。

そこには眼光鋭い白髪の老人が立っていた。


『突然すみません。あの…僕は研究のためにあそこの森で植物採集をしていたのですが、急に雨に降られまして・・・』 

『入りたまえ』

言いよどむ青年の言葉をさえぎり、老人は無愛想に中へと招き入れた。


広い屋敷の中はカビ臭く、壁に掛けられた燭台の灯りが闇をさらに濃く際だたせている。

老人は彼を二階の客間に上げ、すぐにパンとスープと珈琲の盆を持ち戻ってくると、


『明日の朝には出て行ってくれ。それから屋敷を勝手に歩き回らないように』と

彼に言い残し部屋を出て行った。


青年は熱いスープとパンを夢中で平らげたが、苦手な珈琲には手を付けずにベッドに入った。疲れてはいたが、雷鳴の音に寝付けず、ただ横になっていると、どこからか女性の歌声が響いてきた。


あの老人の他に誰かいるのだろうか?


青年はその歌声に導かれるように階下に降りると立派な書斎があった。机の上に置かれた研究記録が目に入ると、青年の研究者としての好奇心が頭をもたげ、彼はページを開いた。


それは、陽光に当たると一気に老化してしまうという奇病の子供の研究記録であった。

あの老人がこの研究をしている博士で、歌声の主がその病の主なのではあるまいか?

記録はなぜか所々が墨で塗りつぶされ、全容はわからなかったが、その子供がこの館の地下室に幽閉されていることだけは読み取ることができた。

現代なら治療できるかもしれない。

子供を閉じ込めたままなんて。

憤慨した青年はその子供を探しに地下室へ降りて行った。

・・・・・・


地下室は意外にも豪華な造りで、色とりどりの花々や美しい絵画が贅沢に飾られていた。そしてそこには驚くほどの美少女が座っていた。


『だれ?』


彼女は彼をみるととても驚いたが、青年の優しいふるまいと端正な顔立ちに、すぐに好感を抱いて微笑んだ。

彼も彼女の余りの美しさに一目で恋に落ち、地下室から連れ出そうとした。


しかし彼女は『だめよ。私は光に当たると死んでしまうのよ。一生ここからは出られないの』と恐れおののいた。

 

彼が説得を続けていると老人が血相を変えてやってきた。


『なんだお前!珈琲を飲まなかったのか?』


そう言うなり老人はナイフをかざして青年に襲いかかってきた。もみ合いになり青年は老人を刺してしまった。


『ああ、博士。僕はなんてことを』


死を前にした老人は真実を語り始めた。


『君が読んだあの研究記録の子供は、この娘じゃない。私のことなのだ』


『なんですって?!それはどういうことなんですか?』

若い二人が声をそろえて尋ねた。


『外に出られない孤独な私のためにと、博士は孤児の赤子であったこの娘を妹として養女に貰ってきてくれたのだ。しかしこの娘が三つの時、博士は病で死んでしまい、それから私は博士の莫大な遺産を受けて、この娘の面倒をずっとみてきた。この娘には博士の研究記録を見せ、光にあたると死んでしまうとからと嘘を教えて、家からは一歩も外に出さなかったのだ』


『なぜ、そんなひどいことを。彼女が可哀そうだとは思わないんですか?』


語気荒く尋ねる青年に、老人は寂しげにこう言った。


『これでも私はまだ三十歳なのだよ。でも老人にしか見えない私を、あの娘は恋の相手とは見ないだろう。自分が若く美しく、そして健康なことを知れば、この屋敷を出て行ってしまう。私はそれがとても恐かったんだよ』

語り終えると老人は静かに息を引き取った。


『あなたは彼女を愛していたのですね』

青年はやさしく独りごちた。

『さあ行こう』


若い二人は手をつなぎ、朝焼けの中へと走り出した。