小説虎の穴 第24回『復讐の轍』 | あべせつの投稿記録

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第24回課題

ハードボイルド文体(主人公の内面を生な言葉で書かずに内面を表現した作品)





『復讐の轍』   あべせつ



リフトを上げると、古い大型のコンプレッサーが威嚇するようなうなり声を上げ、巨体を揺らして回りだした。目の高さまで上げたタイヤを、インパクトレンチを使って外していく。まもなくブレーキの制動装置が剥き出しにされた。

功は作業の手を止め、胸ポケットから出したタバコをくわえた。ここからの作業は慎重を要する。オイルの染み付いた指先でジッポライターの火を点ける。紫煙とともにジッポ特有のオイルの臭いが辺りに漂った。

功は咥え煙草で、しばらくその制動装置を見ていたが、一つ大きく煙を噴かすとおもむろに煙草を足元に捨て、安全靴で踏みにじって火を消した。コンプレッサーの爆音は止まり静粛が訪れた。 

功はそれが合図でもあるかのように工具を握りしめ作業に取りかかった。



数十分後、リフトが下ろされた。

そこに載せられていた深紅のスポーツカーが、工場の蛍光灯の明かりに照らされ、にぶく輝いていた。シャコタンに改造され、違法のエアロパーツが付けられている。到底公道を走るような様式ではない。

功は冷ややかな一瞥をくれると、工場の電気を消し、事務所に繋がる薄いベニヤのドアを開けた。

明かりをつけると6畳一間の事務所は一望できた。小さい簡易の台所が付いているが、使われた形跡はなく、一口コンロにはうっすらと埃が積もっている。

窓には元の色がわからぬほど薄汚れた分厚いカーテンがかけられ、外の灯りは入って来ない。そのカーテンの下には同じく薄汚れたスプリングの悪そうな灰色の長椅子が置かれ、クシャクシャの茶色い毛布と枕代わりのバスタオルが、今、人が起き抜けたかのような形に盛り上がっていた。

どこもかしこも寒々しい光景の中、スチール製の事務机の上に置かれた仏花だけが、唯一この部屋に色彩をもたらしていた。

木製のフレームの中で幸せそうに微笑む三人の家族写真。三十代ぐらいの若い夫婦と一緒に、小学生ぐらいの男の子が、こちらを向いて笑っている。

功は、その写真を見つめながら、立ったままワンカップの酒を一気に飲み干した。



翌日の夕方、工場の裏口の戸がノックされた。功が扉を開けると、二十才そこそこの今風に髪を朱色に染めた青年が立っていた。

赤くテラテラと光るスタジアムジャンパーの背には、金糸銀糸でカラフルに龍の紋様が縫い取りされている。やたらに鋲が打ち込まれたジーンズを、腰よりかなり低めに履いており、足がかなり短く見える。赤いスニーカーは、かかとが踏み潰され、サンダルのようにだらしなくつっかけられていた。

青年は落ち着きなく扉の奥を覗き見ると

『おやっさん、出来てる?』と言った。 

功はあごをしゃくって青年を招き入れた。

薄暗い工場の照明をつけると、あの赤いスポーツカーがはっきりと見えた。 

『ヒュー。こりゃいいや。おやっさん。最高だぜ』

青年は小躍りするように喜んだ。

『このエアロパーツも手に入れるの大変だったんだぜ。なのにどこの車屋も違法だからとか何とかぬかしやがって、付けてくれないんだ。本当に困っちまったよ。いやあ、おやっさんには感謝だよな』

青年はしきりに愛想笑いをしながら、お世辞を言うと尻ポケットから財布を出し、数万円の金を功に渡した。



 『しかしまた、なんでおやっさんみたいに腕のいい職人が、もぐりの改造屋なんかやってるんだい』

しかし無言のままの功の姿に首をすくめ、

『まあ、いいや。お互いに細かい詮索はなしってことで。とにかく近くにおやっさんの店が出来てくれて助かったよ。また頼んだぜ』

そう言うと、爆音を立てながら工場を出て行った。

功は青年の車が見えなくなるのを確かめると工場をそそくさと閉めた。

そして青年から受け取った金にライターで火を点け、灰皿に投げ捨てた。

事務所に入り、遺影をハンカチに包んで上着の内ポケットにしまうと、他は何も持たず工場を出た。

その日を最後に誰も功の姿を見たものはなかった。

 

翌朝の朝刊の地方版の一角に、一人の青年の事故死が小さく伝えられていた。

裏六甲を時速100㎞で下り降りてくるスピードレースをしていて、ブレーキ操作を誤ったらしく、ガードレールを飛び越え、がけ下に転落、即死したというニュースであった。

                   完