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絹弦の古琴

日本で古琴を習ってます

◼️明と清の琴譜の「龍朔操」

琴曲「龍朔操」は朱権編纂の

「神奇秘譜」(1425年)に初めて見られ、

題名の下には「旧名昭君怨」の注があり、

解題と各段の小標題がある。

以後、この題材の琴曲は

明と清の琴譜集に常に見受けられ、

「存見古琴曲譜輯覧」に

「龍朔操」「龍翔操」「昭君怨」

「昭君出塞」「昭君引」「明妃曲」の

題名で、26部の琴譜集に列記されている。

ただしこれらは決して

すべてが同じ曲ではなく、

三種類の異なる譜面がある。

 

一種類目が本文が研究しようとしているもので、

「神奇秘譜」を初刊とし、

続く10部の琴譜集に載っている曲だ。

 

・「神奇秘譜」1425年

  =「龍朔操(旧名昭君怨)」8段 歌詞なし

・「浙音釈字琴譜」(149?年前)

  =「龍翔操」8段 歌詞あり

・「新刊発明琴譜」(1530年)

  =「昭君怨」8段 歌詞あり

・「風宣玄品」(1539年)

  =「昭君出塞」7段 歌詞あり

・「梧岡琴譜」(1546年)

  =「昭君引」8段 歌詞なし

・「西麓堂琴統」(1549年)

  =「昭君怨(一名明妃曲)」9僅7段 歌詞あり

・「杏庄太音補遺」(1557年)

  =「朔操操(目録は龍翔操)」8段 歌詞なし

・「琴譜正傳」(1561年)

  =「昭君引」8巻首另詞

・「重修真傳琴譜」(1585年)

  =「昭君怨(又名龍翔操)」8段 歌詞あり

・「琴書大全」(1590年)

  =「昭君引」8段 歌詞なし

・「新伝理性原雅」(1618年)

  =「昭君怨」8段 歌詞あり

 

これほど多くの琴譜が載せていると

いうことは、

この曲が明代にかなり流行したことを表している。

調弦は同じで、

「緊五慢一(五弦を締め一弦を緩める)」

の黄鐘調を使い、譜面の字は大同小異だ。

「浙音釈字琴譜」で初めて

旁詞が加えられた。

以後、旁詞はあったりなかったりで、

内容はおしなべて遠くに嫁がされる

薄命の美人といったたぐいで、

蔡文姫の「胡笳十八拍」や

唐の詩句が混じり、

歌詞としての芸術性は決して高くない。

しかも琴に合わせて歌うのが大変難しかった。

 

二種類目の琴譜も

明代に広まったもので、

明の正徳六年(1511年)

謝琳編纂の「太古遺音」を初刊とする。

曲名は「昭君怨」は、

後に黄士達が増編した「太古遺音」も

これを収録した。

万暦二十四年(1596年)

胡文煥編纂の「文會堂琴譜」、

万暦三十九年(1611年)

張憲翼編纂の「太古正音琴譜」もこの曲を載せており、

曲名はみな「昭君怨」だ。

 

これらは初めの散音こそ

1種類目と似ているが、

曲調の主要部分は決して同じではなく、

別の曲と考えざるをえない。

歌詞も一種類目と異なっており、

「琴操」に王昭君作と伝わる

曠思惟歌」が変化したものとなっている。

譜面の芸術性が一種類目に及ばなかった

ためだろう、

一種類目に比べて流行らなかった。

 

明の万暦年間

(16世紀末から17世紀初め)。

江蘇常熟の厳澄を宗師とする

「廬山」琴派が琴壇に起こる。

「清、微、淡、遠」の琴風を重んじ、

速く弾いたり音をさわがしくしたり

することに反対し、

琴歌を下卑ているとみなして排斥した。

「龍朔操」は当然ながら排斥対象となる。

音が多く、詞がついている琴曲だったためだ

(詞がついたものが多く、

あるいはもとが琴歌とみなされた)。

そのため厳澄が編纂した

廬山派で最も古い琴譜

「松絃館琴譜」に、「龍朔操」の居場所はなかった。

また廬山派が全国の琴界に

多大な影響を与えていたため、

以後の主たる琴譜はこれにならって、

この曲を載せなかった。

 

清代の初め、「廬山」派の様式に

事実上大きな変化が起きた。

この派を土台として新たにできた

「広陵」派が、揚州でにわかに

隆盛となったのである。

「広陵」派は厳澄のように

にぎやかな音に反対せず、

琴歌を排斥しなかった。

しかし、彼らの最初の琴譜「澄鑒堂琴譜」に

まだ琴歌は載せなかったにもかかわらず、

調弦も音調も、前述の二種類と完全に異なる

「昭君怨」が登場したのである。

 

「澄鑒堂琴譜」は

広陵派の琴家・徐常偶が編纂し、

康煕壬午から乾隆癸己までの

数十年間、三度にわたって版を重ね、

この別版の「昭君怨」は、

その後10部の琴譜に載せられた

(題名は大部分が龍翔操に改称されている)。

その弾法は今日にいたるまで

琴家に代々伝わっている

(今も健在の88歳の広陵派の琴家・

張子謙先生はこの曲に秀でたため、

「張龍翔」と称されている)。

 

このように、かつて広く知れ渡った

「龍朔操」(あるいは昭君怨)は、

影響力の大きな身代わりの登場で、

人々の注目を一層ひかなくなった。

明の万暦年間の終わりに

「新伝理性原雅」の琴譜に載ったきり、

このいにしえの名曲は300年以上に

わたって途絶え、

今世紀の50年代になってようやく

人の目にとまることとなる。

 

 解放後、貴重な書籍「神奇秘譜」が

1955年に出版されたのに伴い、

多くの古い珍品(琴曲)が

続々と琴家に発掘される。

数百年にわたり埋もれていた

「龍朔操」もついに復活の機会を迎えた。

 

北京の青年琴家・陳長齢氏が

まずこの曲を解釈して弾き、

1959年第三期「音楽研究」の雑誌に

「談談古琴曲龍翔操和龍朔操」の

論文を発表、

多くの資料の分析を経て、

数十種の琴譜の間の

おおよその経緯を明らかにする。

そして、彼の演奏録音は

古琴曲内部資料のレコードに収められた

(このレコードは22枚で、

全国にわずか10セットしか出されなかった)。

陳長齢氏が出した、研究用の附譜は

比較的簡略だったため、

全曲を弾くのは難しく、

また広く公開された放送録音や

レコードもなかったため、

この優れた琴曲は全国の琴界に広まらないままだった。

 

この古代の名曲に関する研究は、

見識ある人が受け継ぐのを待つこととなる。

〈成公亮・古琴曲『龍朔操』研究より〉

※つたない語学で訳し

理解しているため、今後改訂する

かもしれません