■幾度も変わった琴曲名
この琴曲の版がこんなにも複雑で混乱したのは、
まず、何度も変わった曲名による。
「神奇秘譜」の目次では「龍朔操」
となっているが、
曲の題名は「龍羊月操」と印刷されている。
この「羊月」は明らかに
字形が「朔」と似ているために誤ったものだ。
やがて「浙音釈字琴譜」で
「龍羊月操」を「龍翔操」と、さらに誤る。
「神奇秘譜」の曲名の下に小さい字で
「旧名昭君怨」とあったこともあって、
明代初頭以降、
「龍朔操」「龍翔操」「昭君怨」は、
同一の曲の異なる曲名となった。
その後出現した
音調の異なる別版の「昭君怨」も、
「龍朔操」「龍翔操」の名称を混じって使った。
「明妃曲」の「明妃」に至っては、
すなわち昭君を指し、
西晋の時代、文帝・司馬昭の名を
はばかっての呼び名である。
「神奇秘譜」の「龍朔操」の曲名の下には
「旧名昭君怨」の字句があり、
解題が示す昭君が遠くへ嫁ぐ題材と
一致している。
では朱権はなぜこれを「龍朔操」に
改めたのか。
我々は「神奇秘譜」の序文に
答えを見つけることができる。
「……その名が俗であるものは
ことごとく改め美しい琴道とした」とある。
「昭君怨」は確かに
民間の俗曲や俗謡の曲名のようだ。
朱権の雅を尊び
俗を排する考えのもと、
一般にわかりやすい「昭君怨」が、
難解な「龍朔操」へと変えられた。
では「龍朔」はどんな意味だろう。
「後漢書・班超伝賛」に「颶尺龍沙」の言葉があり、
「龍沙」は塞外の沙漠の地を指す。
杜甫の詠懐古跡・昭君村の詩にも
「一去紫台連朔漠」の句があり
「朔」は「北」と同義語で、
ここの「朔漠」は北方の沙漠を指す。
このため陳長齢氏は
「龍朔」はすなわち「龍沙の北方」で
「昭君出塞」の塞外を指すと考えた。
また查阜西先生は、そのノート「波勃集」の中で、
「龍朔」は匈奴単于の駐留地だと指摘している。
これは唐の殷堯藩の詩句
「地橫龍朔連沙暝,山入烏桓碧樹重」
(全唐詩巻四百九十二巻
《送景玄上人還山》篇参照)を根拠にしており、
このほかに十分な説明となるものを探すのは、
かなり難しい。
しかしながら、曲名と解題、
小標題の「塞外」の内容が
一致していることは間違いない。
「龍朔」の言葉がこのように
あまり見かけない
分かりにくいものだったため、
数百年来の誤伝と混乱を招いたことは、
朱権の過ちだったと言わざるをえない。
〈成公亮・古琴曲『龍朔操』研究より〉
※つたない語学で訳し
理解しているため、今後改訂する
かもしれません

