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絹弦の古琴

日本で古琴を習ってます

■「龍朔操」が生まれ伝わった年代

朱権は「神奇秘譜」の「龍朔操」の

題名の下に「旧名昭君怨」の注を入れているが、

ではこの「旧名」はどこからきたのだろう。

我々は旧名の出所を探し、

琴曲が生まれ伝わった時代を

一歩ずつ推測するとしよう。

 

南宋嘉定(1208―1224年)より前

一部三巻の琴論集「太古遺音」が世に出た。

撰集者は田芝翁である。

嘉定年間になって、

ある者がこの書を「琴苑須知」と名を改め

朝廷に献上した。

200年余り後の明代初期1413年、

朱権はこの琴論集を研究し、

二巻に分けて改訂版を刊行した。

題名は太古遺音」のまま

(朱権序文参照)であるが、

書籍のはじめには「新刊太音大全集」と印刷した。

 

この琴論集の巻末には61集の

譜面のない曲名が載っており、

その中に「昭君怨」がある。

これはのちに朱権が編纂する

「神奇秘譜」の「龍朔操」の題名の下に

「旧名は昭君怨」とあるのとぴったり符合する。

二つの刊本の「昭君怨」が用いる調弦は、

同じ「黄鐘調」だ。

「新刊太音大全集」の「昭君怨」には

譜面がないのだが、

調弦が「黄鐘意」「慢大緊五」と注記されている。

「神奇秘譜」の「黄鐘調」「緊五慢一」と

全く同じ意味で、しかも琴曲にめったに

用いられない「外調(正調以外の調)」ということは、

つまり「神奇秘譜」の「龍朔操」が

200年余り前「太古遺音」(田芝翁)の

「昭君怨」の新たな曲名だからと言えるだろう!

「新刊太古遺音大全集」と「神奇秘譜」は

ともに朱権によるものなのだから

(両書は間をあけずに編纂された)、

なおのこと誤りは起きにくい。

 

これと同時代、

郭茂倩が編纂した「楽府詩集」にも

証拠を見つけることができる。

巻二十九相和歌辞「王明君」の解題で、

漢代以降の典籍を大量記録している中に、

「明君」に関する詩歌名があり、

琴曲名の後に

「按琴曲有『昭君怨』、亦与此同」とある。

ここにはほかの詩歌名のように、

琴曲はみな出所の説明があり、

この曲は南宋時代に流行った琴曲で、

当時はまだ古い伝曲ではなかったようだ。

これらのことは「神奇秘譜」の「龍朔操」

あるいは「昭君怨」は

南宋時代にはすでに民間に伝わっていたことを示す。

私たちは南宋嘉定以前を新たな発点とし、

さらにこの曲が生まれ、伝わった軌跡をたどることにしよう。

 

宋代に刊行された多くの琴譜の中で、

今日見ることができるのは

わずか二つの小曲だけだが、

一方で二つの貴重な曲目表が残されている。

一つは僧居月が編んだ「琴曲譜録」で、

223首の譜面のない曲名を載せている。

もう一つは「琴書・曲名」

(選者不明の「琴苑要録」参照)で

同じく253首の曲名を載せている。

二つの曲目表とも「昭君怨」が記載されており、

許健氏の考証によれば、

刊行年不明のこの二つの資料は

南宋時代の作品を収めてはいない。

ゆえに、これらを北宋の産物と

みなすことができる(「琴史初編」参照)。

「龍朔操」が南宋の嘉定以前に

「昭君怨」として民間に流布していたという前提にたつと、

北宋時代の二つの曲目表の「昭君怨」は、

前者の同名同曲である可能性が高い。

我々はこの曲の流行した年代を、

またもや100~200年押し上げることになる。

 

楽曲が流行った時代と

楽曲が生まれた時代は同じではない。

古い楽譜がすでに散失した状況では、

この曲が生まれた確かな年代を

探し当てることはできない。

しかしながら、昭君を題材にした

これまで数多くの琴曲の曲名に

その一端をうかがい知ることができる。

 

漢末から唐にかけ、

「明君」の種類の琴曲の創作は実に多かった。

漢末の蔡邕が王昭君作として伝えた

「怨曠思惟歌」が最も古く、

辞のついた琴曲だった。

以降、魏晋・嵇康の「琴賦」の中の

曲名「王昭」(すなわち王昭君)は

「俗謡」のたぐいに入れられた。

おそらく大衆的に流行った琴歌であろう。

さらに南朝・謝逸希(希逸)の「琴論」に

「平調『明君』三十六拍、

『明君』三十六拍、

清調『明君』十三拍、

間弦『明君』九拍、

蜀調『明君』十二拍、

呉調『明君』十四拍、

杜瓊『明君』二十一拍、

凡有七曲」とある。

唐代「琴集」に載る数はさらに多く、

胡笳『明君』四弄.

有上舞、下舞、上弦、下弦。

『明君』三百余弄、其善者四焉。

又胡笳『明君別』五弄.

辞漢、跨鞍、(望郷)、奔雲、入林是也」

とある。

九つの、「明君」を題材とした琴曲名は、

初唐の書写である「碣石調幽蘭第五」の後段、

五十九の琴曲名の中に載せられている。

 

これらは曲名だけの記録ではあるが、

共通点を見いだすことができる。

昔の塞北の管楽器「胡笳」

関係がありそうということだ。

題材、音調の観点から、

この多くの「胡笳」の声の琴曲を

追求していくこととしよう。

今日、我々が目にすることのできる

「胡笳」にまつわる琴曲は、

みな王昭君、蔡文姫、

あるいはその他塞北に関連する内容に

題材をとったもので、

調弦はみな「黄鐘調」だ。

曲調もみな似たところがある

(とりわけ楽曲の始まりと終わりにおいて)。

私たちは宋と明の時代に広まった

琴曲「昭君怨」あるいは「龍朔操」は、

早ければ唐代に誕生したことが確認できる。

これは唐代の「胡笳明君」「胡笳明君別」、

あるいはもっと古い

「胡笳明君三十六拍」の源流と関係があるのか。

可能性はある。

ただ今はまだ確たる材料をもって証明していない。

〈成公亮・古琴曲『龍朔操』研究より〉

※つたない語学で訳し

理解しているため、今後改訂する

かもしれません