弾いた「爛柯行」
◼️爛柯とは(デジタル大辞林より)
木こりの王質が四人の童子らの打つ碁をナツメを食べながら時を忘れて見ていると、斧の柯(え)が爛(くさ)り、帰ってみると当時の人は誰もいなかったという「述異記」の故事による。


















囲碁にふけって時のたつのを知らぬこと。また、囲碁の別称。転じて、好きな遊びや物事に心を奪われて時のたつのを忘れること。
調べてみると「爛柯行」は
明代末の尹爾韜という人が
作っていました
琴譜「徽言秘旨訂」(1692年)には
「尹芝仙(尹爾韜の号)先生伝略」
が書かれています。
そのままだと難しいので、
現代中国語で書かれた
「尹氏歴史文化研究博客」を
参考に要約しました
尹爾韜は紹興の人で
幼い時、病気がちだったため
父親から古琴を学んで
慰めとするよう命じられます。
あるとき王本吾という琴人に
才能を見出され、
大きな進歩を遂げることになりました。
成人してからは各地を巡って探究、
後に北京へのぼります。
崇禎帝の時代、折しも都では
琴曲を作る人材が求められており
尹爾韜は見出されて宮中にあがります。
尹爾韜が作る曲の素晴らしさに
崇禎帝が「仙かな、仙かな」と
言うと、これがまたたく間に
宮中内外に伝わり
彼は芝仙と呼ばれるようになりました。
その後、崇禎帝は「崆峒引」「爛柯行」
など道家思想の歌詞五首を作り
尹爾韜に琴歌とするよう命じます
しかし曲を納める前に、李自成の乱が
入京し、崇禎帝は自尽。
尹爾韜は逃れて各地を転々とし
河南省に落ち着きます。
ここで「蘇門長嘯」などを作ったのち
最後は故郷に帰って亡くなりました
明の衰退を止められず、
縊死する際は、そばに宦官ひとりしか
いなかったという崇禎帝
思わず時を忘れるという
「爛柯行」は激動の時代の中で
生まれた曲でした
※つたない語学で訳し
理解しているため、今後改訂する
かもしれません
