小説「小さいおうち」 | mimiの独り言

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山田洋次監督の新しい映画「小さいおうち」についての記事を新聞で読んで間もなく、本屋の棚を見て歩いていて、その映画の原作となったこの本を見つけました。

さっそく買って読みだしたところ、書かれた時代は昭和10年ごろから戦後間もない頃、主人公が女中として仕えた時子奥様はちょうど私の母ぐらいの年齢、その子供である恭一は私より2、3年年長、普段はそれほど懐かしいと思わないあの時代が妙に懐かしく思われ、一気に読みました。

小説に取り上げられたあの頃の主な出来事、紀元二千六百年の祝賀行事、当時私が住んでいた長野県上田市でも旗行列が町を行進したのでしたが、その行事の話、興亜奉公日、大詔奉戴日などという言葉、ああそういえばそんな言葉があったと、戦争にまつわる嫌なはずの記憶が奇妙な懐かしさとともに浮かんできました。

著者は40代のはずですが、よくこんなことまで調べたものだと思うくらい詳しいことがいろいろ出てくるのでした。ただ一つ「ス・フ」という言葉(ステープル・ファイバーの略)、これは当時木綿の代用品として使われた粗悪な布地なのですが、表記はただ「スフ」とだったはず。

こんな重箱の隅をつつくような話はどうでもいいし、懐かしがってばかりいてはいけないのですが・・・。

この小説のメインの話は時子奥様と彼女の夫の会社の社員でデザイナーだった板倉正治青年の恋、戦後、青年はイタクラ・ショージとなって紙芝居やアニメの世界で活躍し、結婚はしないまま終わります。

板倉正治の友人は板倉が結婚しなかったのは、戦場での人間性を脅かされるような体験が原因であろうと言い、また若い日の恋のためであろうと言います。最後まで行き着かなかった恋はなかなか終わらない、そんなことを私はまた思います。

ネットで映画についてのレビューを少し見ました。それによると映画と小説はかなり違う所があるようです。いつか映画も見るつもりですが、それはかなり先のことになりそうです。

追記
私の母は小説の中の時子奥様と同世代、昭和10年ごろは東京の豊島区長崎に住んでいました。昭和10年父は心臓病で駿河台の杏雲堂病院(今も当時の場所にあります)に入院、母は電車を乗り継いで病院に通いました。「あの頃の池袋は寂しい駅だった」という母の思い出話を私は目を丸くして聞きました。
父はこの病院で亡くなり、その時私はまだ母のお腹にいました。

当時の東京は今よりずっと静かだったのでしょう、母は病室で近くのニコライ堂の鐘の音を聞いたと話していました。