
原子爆弾は当時新型爆弾と言われました。広島、長崎にはこの先何十年も草木は生えないと大人たちが話していたのを憶えています。
終戦の詔勅は近所の家に集って聞きました。当時のラジオの普及率は100%ではなかったのです。詔勅は何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。中の一人が両手を挙げて「これだ、これだ」と言いましたから、その人はわかったのでしょう。
その後の猛烈な物価の高騰と食糧難、全て鮮明に憶えています。
我家は母子家庭、母は名古屋の生まれで農家の親戚は無く、我家の食糧難は深刻でした。
そんな時簡単に手に入るスベリヒユのおひたしもよく食卓に登りました。
実に不味いものでした。
後年旧約聖書を読んでいたら「スベリヒユのように不味い」という記述があり、紀元前の時代からスベリヒユは不味くて有名だったのだなと思いました。
ある時私はスベリヒユを食べた事があると言いましたら、「油で炒めるのですか」と聞かれました。食糧難を知らなければそんな発想です。雑草を食べるほど食糧難が逼迫している時代に油が手にはいるでしょうか。経験しなければ分からないことです。
近年スベリヒユの近縁のポーチュラカが園芸植物としてあちこちに植えられているのを見ます。でも私はあの花を植えることにどうも抵抗があります。葉の形がスベリヒユそっくりなのです。食べ物の恨みは何年経っても深刻です。