最近 政府内で

高齢者の定義を

65歳から70歳に変更しよう

という動きがあるようだ

 

もしかして それによって

年金の引き下げや

開始時期を遅らせる流れに

繋げようとしてるのか

 

つい 疑っちゃうのは

特に最近の 政治を見ていると

政治家って

ホント 信用できないから

 

 

 

 

 

先日

 

ちょっと

おもしろいことがあった

 

 

娘 ドラ子と

なにかのきっかけで

高齢出産の話になり

 

それは

あくまで 一般論としての

話だったんだけど

 

私は 何気に

ドラ子に 言った

 

 

もし 育児のヘルプを

ママに期待してるなら

早く 産んでくれないと

 

体力的に

手伝えなくなるよ

 

 

そう 言葉にしたあと

 

結構 プライベートな

際どい話

しちゃったかな

 

と チラ と

反省したりもしたけれど

 

 

よくよく考えてみると

 

反省する以前に

 

私は 認知症母 という

赤ちゃん並みに 手のかかるひとの

介護をしているので

 

孫の面倒をみることなんて

逆立ちしたって

無理なのだった

 

 

何故 そのことを

一瞬でも 忘れてしまったのか

 

 

それは

 

先日

心が ささくれ立ってる時に

友人から

 

癒やしがほしいなら

生まれたての赤ちゃん

触らせてあげる

 

な~んて 言われて

 

友人の お嬢さんのお家に

お邪魔させてもらって

 

ぷりぷりもこもこの 手足を

思いっきり 触らせてもらって

 

抱っこまで させてもらって

 

その ハッピーな記憶が

記憶に残っていたからか

 

 

それとも 単に

介護からの逃避願望が

そうさせたのか

 

 

 

 

いずれにしても

 

子どもが生まれたら

ママが 手伝ってくれるはず

 

そう信じてる様子の ドラ子は

言った

 

ママさあ

歳だ 歳だ って 言うけど

今 何歳なの?

 

 

娘が 私の歳を

知らなかったことは

ちょっと 意外だったけど

 

ああ そんなことには

興味ないのね

 

それだったら と

 

70歳

 

なんとなく サバを読んでみた

 

 

すると

 

私の軽い気持ちとは 裏腹に

ドラ子は

 

えっ

 

と驚いたような声を 出し

絶句した後

 

うそぉ…

 

ママ もう おばあさんなんだ

ドラ子 かなしい…

 

と言葉を絞り出して

ポロポロと 涙を流したのだった

 

 

?????

 

 

私は 困惑した

 

なんというか

今 この妙な雰囲気の中で

 

ゴメン

ウソだぴょーん

 

などと ショーワの流行語で

ドン引きさせて

ドラ子の気分を 変えさせるべきか

 

それとも 

ドラ子の ポロリのほうを

ツッコんで

笑い飛ばすか

 

 

一瞬 迷ったが

 

でも ツッコむにしても

ツッコミどころが ありすぎる

 

 

例えば ひとつは

 

彼女は

私がブログを描いていることは

知っている

 

時々

 

ママ私のこと

マンガにしたね

 

ネタ使用料 払って

 

と言ってくるくらいだ

 

そのタイトルに

「60代主婦」と付いてることに

気づいてないのか

 

 

他にも

 

今の70歳は 若い

 

大方の70歳の気分は

まだ 現役だ

 

それを

おばあさん

と 断言し

そのことが 泣くほどにかなしい

なんて

世の70代を 敵に回したぞ

 

 

そもそも

 

ママがおばあさんだと かなしい

って

 

つまり

いつまでも 親は現役で

自分は子どもでいたい

ってことだな

 

いやいや

早く 自立した大人になってくれ

 

 

 

…そんなふうに

脳内で

ひとりツッコミをしていた時

 

唐突に

自分が 子どもだった頃のことを

思い出した

 

 

 

当時 私は

小6だった

 

父が 4年の予定で

夫婦で海外赴任することが 決まり

 

私は その間

祖母と 暮らすことになった

 

 

母と別れる 寂しさからか

 

あの頃 私は

しばらく

ある思いに 囚われていた

 

 

赴任が終わって

日本に戻って来る 4年後

 

おかあさんは 41歳

 

もう 歳なんだなあ

 

 

40代が

やたら高齢に 感じられて

とても かなしかったのだった

 

 

今の 私からしたら

40代なんて

もちろん 全然若いんだけど

 

あの頃の私は

 

ああ もう12年も

生きてしまった

時間が過ぎる 意味を

死へ向かう 行進であるような

捉え方をする

 

そんな子どもだったので

 

40代になった 母が

もう 大分

死に 近づいてしまったように

感じたんだろう

 

 

 

 

あれから

 

私は

気の遠くなるほどの 時間

死へ向かう行進を 続けてきた

 

 

そんな中で

母との距離感も 変わってきた

 

 

私の心を 占めているのは

 

子どもの頃

あんなに怯えていた

母の死より

 

母を

きちんと 見送らなければ

という

プレッシャーのほうだ

 

 

それは とりも直さず

 

母が

私を守ってくれる存在から

守られる存在になった

 

ということなんだろう

 

 

もう 私を

無償の愛で

受け止めてくれる人は いない

 

しっかりしなくちゃね

 

 

 

そんなことを考えてたら

繋がった

 

 

ああ そうか

 

ドラ子の涙も

 

あの頃の 私のようなことを

感じて

 

世間的には

もう いい年齢の

大人なんだけど

 

でも まだちょっと

親離れできてないところが

あって

 

私の前では

子どもになってしまって

 

ポロリとしちゃったのかもね

 

 

そして

 

そんな反応ができる ドラ子が


なんだか 少し

 うらやましかった