皆さま

 

また 更新が滞ってしまいました

すみません

 

日々 色々なことがありすぎて

バタバタしています

 

 

なんで こんなに 次々

雑用が 湧いて出てくるんだろう?!

 

 

それらのことも

いづれ ブログに描いていこう

と思っていますが

 

実は

前回のブログで 描いた

亡くなった伯父のことが

あれからずっと 頭から離れず

 

オマージュとして

私から見た 伯父の人生を

描いてみよう

 

と 思い立ちました

 

 

ところが

書き始めたら

記憶の扉が

ばっかんばっかんと 次々開き

 

書きたいエピソードが

てんこ盛りすぎて

 文章が 全然 終わらない!

 

というわけで

 

3回に分けて書こう

と 思っています

 

読んでいただけたら

うれしいです

 

 

 

※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

先日 亡くなった

伯父ほど

自由に生きた人を

私は 知らない

 

 

 

もちろん

それは

母や親戚から 聞いた話を

私が 勝手にイメージしたもので

 

私が 直接知っていることは

少ない

 

でも

伯父の妹弟たちが 語る

伯父にまつわる 数々のエピソードが

事実

だとするならば

 

伯父の破天荒さは 群を抜いていた

 

 

 

 

 

伯父は

 

女性にやさしくて 金離れがよく

とにかく モテるひとだった

 

 

終戦後

遠く 鹿児島から

東京の大学に進学した 彼は

 

祖父の 知人の家に

下宿させてもらって

 

母 曰く

 

とても恵まれた 学生生活

 

を 送ったらしい

 

 

その 知人 というのは

戦前戦後を通じて 日本を支えた

大手海運会社の 社長で

 

南青山にある その家は

門が3つもある 大豪邸だったそうだ

 

 

田舎で 小さな会社を

経営をしていた 祖父なんかとは

本来 接点などあるはずもない

別世界の人だ

 

ただ一点

同郷の知人の 知人

という

細いつながりを 除いては

 

 

祖父は

 

おそらく将来 家業の会社を

手伝うことになる 息子に

 

一流経営者の生活を

垣間見せることによって


そこから いろいろ学んでほしい

 

親心から その 細い糸を

大切に大切に手繰り寄せて

息子を

下宿させてもらったんだろう

 

 

当時 同じく

東京で 学生生活を送っていた

私の母が

用があって 兄を訪ねていくと

(母は 学生寮に 暮らしていた)

 

その家の 長い長い廊下で

お手伝いさんが すれ違う時

必ず

 

ごめんあそばせ

 

と 深々と 頭を下げる

 

兄の部屋に 着くまで

何人もに 挨拶されて

 

その度に

緊張しまくっていたそうだ

 

 

そんな環境での 生活は

果たして

伯父の人生に 良い影響を与えたのか

 

 

そこのところは

ちょっと ビミョーかも…

 

 

 

 

スポーツマンだった 伯父は

大学の部活の 格闘技で

頭角を現し

 

卒業後も

しばらくは 故郷に帰らず

大学のコーチをしながら

格闘技を 続けた

 

全日本選手権で 優勝したり

海外遠征にも

何度も 行ったそうだ

 

 

でも 当時は

日本全体が 超貧しかった

敗戦直後

 

社会人になっても

スポーツを続けることは

かなり 贅沢なことで

 

ましてや

当時は 自己負担も高額になる

海外遠征など

贅沢の極みだった

 

 

学校を 卒業と同時に

お見合い結婚した(させられた)

母の立場から 見ると

 

実家から お金を出してもらって

好きなスポーツを続けていた

兄のことが

大分 うらやましかったらしい

 

 

しかも

当時

 

東京に 家を買いなさい

 

と言って

祖父から 伯父に

大金が送られてきたことまで

あったそうで

 

 

当時の 日本

特に鹿児島の

 

息子と娘に対する 扱いの違いって

かなり エグかったようだ

 

 

もっとも

この大金に関しては

 

商売人だった祖父の

 

今 東京で 家を買えば

良い投資になる

 

という嗅覚も

大いに働いたんだろうけど

 

 

 

ところが

 

伯父は そのお金で

 

高級アメリカ車

(残念ながら 車種が思い出せない)

を買う

 

と 言い出した

 

 

安サラリーマンと 結婚してしていた

母は

もちろん 大反対だった

 

車なんて

時間がたてば 廃車になって

つかったお金は パーになるのよ

 

それより

道玄坂に 100坪の土地が

ちょうど買える値段で

売りに出てるわよ

 

渋谷は これから発展して

必ず 値上がりするから

 

と説得したそうだ

 

 

母ってば 我が親ながら

なかなか 先見の明がある

 

 

でも

 

その時 伯父は

ふふん と鼻で笑いながら

こう 言い返したそうだ

 

何言ってんだ K子

 

これから 日本は

どんどん 豊かになる

 

みんなの価値観も 変わっていく

 

これからは

動く応接室の時代だぞ

 


 

そうして

 

伯父は

道玄坂100坪と同価値の

 

当時 まだ日本に

わずか3台しか 入ってきていなかった

高級アメ車を 購入し

 

敗戦の空気感の残る トーキョーを

爆走していたらしい

 

 

「太陽の季節」by 石原裕次郎

に出てくる 太陽族より

まだ一世代前の 話

 

 

伯父のこと ② に続く→ → →