その マグカップは

 

私が 長年

愛用しているものだった

 

 

 

ものにこだわるような 生活には

縁遠い

私の 日常の中で

 

それは ほとんど唯一の

思い入れのあるものだった

 

 

 

10年以上 前のこと

 

大好きな ゴッホの

展覧会に行って

 

そこのミュージアムショップで

見かけた

大好きな ひまわりの絵が描かれた

マグカップ

 


一目惚れだった

 

 

おうちに 連れて帰って

 

落ち込んだ時や

心がささくれだった時

 

そのカップで飲む コーヒーで

私は

どのくらい 癒やされたことか

 

 

 

いっぽう 母は

絵には まったく興味のない人で

 

私の そのカップが

水切りラックの上に

伏せてあると

 

薬を飲む時や 喉が渇いた時

お花に 水をあげる時

 

ちょいちょい 使う

 

 

私は それを目撃したあと

さり気なく カップを

棚の奥に しまい込む

 

 

 

後日

思いついて

 

私は 母に

マグカップを

プレゼントしたことがあった

 

 

クリムトの花の絵が 一面についた

それは

違う日に

ミュージアムショップで買ったもの

 

 

そして

 

この ゴージャスな花柄の

新しいカップは

おかーさんのね

 

この 枯れかけた

ヘンなひまわりの絵の カップは

私のよ

 

わざわざ 大好きなゴッホを

貶めるような表現を 使ってまで

母に 所有者を

印象付けようとしたんだけど

 

無駄だった

 

 

母にとって

カップは カップ

 

我が家の棚に

マグカップが ひとつ

増えただけのことだった

 

 

 

 

そして

入れ歯を洗浄するときに 使う

ケースが見当たらなかった

その日

 

 

キッチンに ケースを探しに行った

母の目は

 

何故か

どうでもいいコップや カップ

ではなく


クリムトのカップ

でもなく


ゴッホのカップを

ロックオンした

 

 

理由はない

 

母にとって 理由はないけど

 

私にとって それは

まったく不条理な 出来事だった

 

 

想像してほしい

 

お気に入りのカップに

ひとの入れ歯が 浮かんでいることを

 

ついでに言うと

緑や 茶色の 浮遊物も

あることを

 

 

 

 

 

子どもの頃

 

私は 自分に

大いなる誤解をしていた

 


ゴキブリや 蜘蛛を

目撃したら

キャーキャー と叫び

誰かに どうにかしてもらう

 

台所の食器洗いを 手伝っても

生ゴミを片付けるのは 母任せ

 

父親の下着は

臭い と眉をひそめ

 

赤ちゃんはかわいいけど

おむつ替えなんて ムリムリ

 

 

な~んて態度でいても

ことが 済む

 

 

自分だけは


世の中の

穢れたものから 隔絶された

 

ふわふわで ぷるぷるで

ピンクで キラキラの世界に

安住しても

許される存在


だと思っていた

 

 

 

あの頃の私が

お気に入りのカップに 入った

入れ歯を 見たら

 

 

先ずは 雄叫びをあげ


次に 怒り狂い

 

その後

そのカップは 捨てただろう

 

 

 

 

大人になって

私は

いろいろなことを 経験した

 

 

生きていく上では

汚いことも 不可避であることを

実感したし

 

清潔で 美しく見えるものの

裏では

必ず 誰かが

汚い部分を担っていることを

知った

 

 

 

今や 私は

抵抗なく

母の入れ歯は 手で触って 洗う


 

 

母の 汚れた下着も

うまく道具を使って 洗濯する

 

 

そして

ひまわりのカップは…

 

 







引き続き 愛用している

 

 

だって

ケチだしね 自分

 

なんたって

大好きな ゴッホのだし

 

世は SDGsだしね

 

 

 

ま コーヒーを飲む時

 

ふと あの洗面所のシーンが

頭に浮かぶこともあるけど


 

大丈夫

 

最近 忘れっぽいからね

 

いずれ 忘れる