今日の気付き、きたー!

忘れないうちに書いとく!


自分が悲しみ、辛さ、を知ってる(体験した人も)ほど、自分とは違うジャンルも受けいれられる。

それらに遭遇した時に笑って楽しめる


という事が、わかった


即ち、掘り下げていくと

そうした場面(自分の知らない世界、状況)に出会した時に、あからさまに不機嫌な表情や発言になるか

or

それを楽しめるか


です。


さあ、貴方はどちらかな?


例えば…超ガチガチ上品な高学歴(これも既に物質的社会観だね)な人が今迄リアルに会ってこなかった人々(浮浪者、不可触民、原始人etc...この分け方も物質的社会観で大嫌いだけど、あえて、わかり易く)とリアル遭遇した時に、彼らの言動、行動を、彼らと一緒に楽しめるか!!


ということかな。


書いていて、ふと急に…私の大好きな、ナスD映像が蘇った。

物質的社会観でみれば、彼らは原始人

しかし、ナスDはいつだって、そんな糞価値観無く、彼らに飛び込んでる。

部族の言葉でギター弾き語りシーンは泣けたなぁ。。


敬愛している現ダライラマ様も、全ての垣根(価値観だと思う)を外れた世界観(宇宙観)におられる


ああ!そうだ!そうだよ

価値観の不一致、だとか、価値観の違い

とかってよく言葉で現わされてきたけれど!


価値観、それは宇宙意識(全ての源)と認識していて良い


まぁ…例えば、価値観が違ってね〜

とか

価値観が合うから〜

とかの言葉の表現の本質には、その人がその言葉を使う背景や泥の様な思い(気持ち)が潜んでいる。

ので!言葉で価値観合うね、を表明で受け取るのでは無く本質を見抜く


価値観、という言葉(表現)以外でも多々ある。


要は本質を瞬時に見抜く、いや、見抜くじゃないな、その表現だと心理学には…な、糞基準になる。

見抜く、では無く感じられる(目に見えない事)には!

己の直感しかありません。

それを第六感と言ったり、サードアイと言ったり脳科学で分析しても、辿り着けないであろう。


何故ならアプローチが違う

即ち、お話にならない、から。


でも、いいんだよ

人それぞれ、好きなアプローチで極めていけば。


大切なのは、自身が楽しんでいるか、幸せか、周囲に愛と優しいで接しているか


だけお願いお願いお願い


人それぞれの、愛の形(表現)というものがあるからニコニコ

それで良き。

愛に⚖️物差し📏は無いのです。