◎仏教が神道を取り込み仏と神が同一の存在に。 | 日光市で肩の痛み解消 下野大沢駅前阿部整骨院

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こんにちは、栃木県日光市JR下野大沢駅前30秒の阿部整骨院院長の阿部洋志です。

 


◎仏教が神道を取り込み仏と紙が同一の存在に 

 

 仏教は6世紀半ば(538年説と552年説あり)に

 

朝鮮半島の百済から仏典とともに

 

伝わったとされる。

 

この教えに対し

 

王権の信仰対象に河得ようとする崇仏派と

 

阻止しようとする廃仏派に分かれる。

 

 だが

 

朝廷の実力者

 

蘇我氏を中心とする崇仏派が廃仏派の物部氏を倒し

 

蘇我氏に近い推古天皇

 

聖徳太子(厩戸皇子)も仏教に帰依したため

 

神道とともに仏教は国の庇護を

 

受けるようになった。

 

 ただ

 

このころの仏教は

 

神道と同一視されていた。

 

神道には「八百万」といわれる多くの神がいて

 

仏教の仏も神たちのひとつだとされていたのだ。

 

国が管理運営する「官寺」という寺院も建てられたが

 

それは仏教の文化を

 

取り入れたにすぎない。

 

神社の社殿は寺院の模倣ともいわれ

 

祝詞も読経をまねて形式化したという説もある。

 

これらも仏教優位というわけでもなく

 

最新文化を導入した結果だったのだろう。

 

 

垂迹神と本地仏の例 

 

垂迹神           本地仏

 

天照大神              大日如来、十一面観音菩薩

 

八幡神、応神天皇 阿弥陀如来

 

市杵島姫命           弁財天

 

稲荷神                  十一面観音、聖観音、茶枳尼天

 

素戔嗚               薬師如来

 

大国主神              大黒天

 

熊野権現              阿弥陀如来

 

伊弉諾尊              釈迦如来、阿弥陀如来

 

伊弉冉尊              千手観音

 

 

 しかし奈良時代に入ると

 

じょじょに神道と仏教の立場は逆転し始める。

 

奈良時代に

 

とくに仏教に傾倒したのが

 

第45代聖武天皇である。

 

 聖武天皇が即位した時代は

 

地震や疫病が次々と発生し

 

天皇は仏教に救いを求めた。

 

天皇は鎮護国家を願って

 

全国各地に国分寺や国分尼寺を建立。

 

その規模はほとんどの場合

 

その地方で最大の建築物になったという。

 

さらに752年には

 

奈良・東大寺で

 

大仏の開眼法要を実施。

 

体位後は仏門に入るなど

 

深く仏教に帰依している。

 

神社の境内に寺を設けた「神宮寺」ガン口に建立され始めたのも

 

奈良時代からである。

 

 聖武天皇の行った政策により

 

仏教は国家運営の中心となる。

 

僧侶になるには国家の許可が必要なため

 

エリート意識も生まれる。

 

そのエリートが集まる寺院も

 

次第に権威を持ち始める。

 

寺院と僧侶は国家の鎮護もしくは

 

諮問機関として

 

政治にも口をはさむこととなる。

 

 やがて平安時代となると

 

仏と神を同一の存在とする説が起きる。

 

それが密教グループによる

 

「本地垂迹説」だ。

 

 この説によると

 

神は仏の仮の姿とされ

 

もとの仏を「本地」

 

化身である神を「垂迹」とした。

 

 

南北朝時代に成立した『神道集』でも

 

神の元の姿とされた仏の名も同時に記され

 

天照大神は大日如来の垂迹だと考えられたのである。

 

このような神仏が混ざり合った現象を

 

「神仏習合」もしくは

 

「神仏混淆」という。

 

 このように

 

仏教と神道は伝来したときから同一視され

 

平安時代になると

 

立場を変え

 

その考え方が顕著になる。

 

 たとえば

 

藤原氏は興福寺を「氏寺」

 

春日大社を「氏神」としたため

 

興福寺と春日大社は今も交流がある。

 

比叡山延暦寺は

 

日吉神社を鎮護の神とし

 

2020(令和2)年に国宝に指定される予定の

 

京都・八坂神社の本殿は

 

神殿と拝殿が一体化した寺院に

 

近い形になっている。

 

大阪の四天王寺に鳥居があるのも

 

神仏習合の名残とされる。

 

 もともと仏教と神道は同じと見られていたし

 

境内に神宮寺を併設している神社も多かった。

 

さらに僧侶が神官を務めるところもあった。

 

 仏事と神事を区別するのは

 

明治時代になって

 

国によって神仏が分離されて

 

以降のことなのだ。

 

日本人が大切にしてきた

 

伝統のウソ

 

オフィステイクオー

 

KAWADE夢文庫刊

 

146ページ5行目から

 

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