●――『古事記』における「調和」と「争闘」。書籍 新装版古神道の身体秘伝 から。 | 日光市で肩の痛み解消 下野大沢駅前阿部整骨院

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こんにちは、栃木県日光市JR下野大沢駅前30秒の阿部整骨院院長の阿部洋志です。

 

 

●――『古事記』における「調和」と「争闘」

 

一瞬一刹那の定住も許さない「創造」の世界には

 

一面においては向上進歩の「調和性」があり

 

一面においては現状打破を防ぐところの「争闘」が

 

演ぜられなければならない。

 

「調和」と「争闘」と

 

これが宇宙活現の二大性相であって

 

この二大性相は

 

創造、統一、自由、限定のそれぞれに

 

必然的に宿っている。

 

『古事記』というのは中主を基調とする

 

創造、統一、自由、限定の上に起る

 

調和と争闘とを伝えたものである。

 

もっとも調和と争闘とは

 

相反する相のようではあるが

 

調和即争闘

 

争闘即調和である。

 

『古事記』に記されている伊邪那岐

 

伊邪那美二神の御神業には

 

調和と争闘との意義が

 

もっとも明瞭に現れている。

 

二神の神業を知悉すれば

 

天地経綸の根元が明瞭となる。

 

そのもっとも根本的な創造のもととなる力

 

調和の原動力は「愛」であり

 

「愛」が調和と争闘の起こる根底でもある。

 

伊邪那岐、伊邪那美神による国生みは

 

神聖なる愛によって

 

麗しく行われているのである。

 

「愛」には深刻な

 

根本的な「調和」が宿る。

 

しかし

 

愛には「調和」とともに

 

必然に争闘が伴う。

 

伊邪那岐神がその妹

 

伊邪那美神を追って

 

「黄泉」に到った以後の事実は

 

正しくこれ

 

「争闘」である。

 

「黄泉軍」と伊邪那岐神との大々的争闘である。

 

黄泉は無活動の世界

 

枯死の状態

 

非創造の境である。

 

このむ勝ドアの世界を展開して

 

ふたたび麗しい創造活現の世界を現すために

 

ここに争闘が行われなければならない。

 

もしも宇宙が「創造」のみの世界ならば

 

永遠から永遠に渉って単に

 

「調和」と「争闘」の交渉のみで

 

恒久に終わってしまうのであるが

 

「創造」にはかならず「統一」が常にともなっている。

 

ゆえに伊邪那岐、伊邪那美二神は

 

最初「天浮橋」というまったく創造の実の立脚地に立たれたのであるが

 

創造の永遠の過程のなかに

 

恒常の統一が行われる根元が

 

「天之御柱」によって定められたのである。

 

「統一」を忘れた「創造」は

 

真に創造の意義を尽くしていないのである。

 

新装版古神道の身体秘伝

「古事記」の密義

 

大宮司朗著

ビイング・ネット・プレス刊

 

112ページ9行目から

 

114ページ4行目まで

 

 

 

日光市の磐裂の霊水です。

 

甘いという患者様がおっしゃっています。