昨日、6月23日は沖縄「慰霊の日」。
日米で約20万人が亡くなった、沖縄県民の4人に1人が犠牲になった戦争が終わって79年がたちました。
初めて娘と一緒に平和の礎に行ったのは娘が3才の時でした。
ひめゆりの塔や対馬丸祈念資料館、そして、慶良間諸島のとかしき島。
米軍が初めて沖縄に上陸したのが1945年3月26日。3月28日に島民300人以上が集団自決をしました。悲しいことです。
孫の小さな頭、祖父が棒で 渡嘉敷、忘れられぬ「集団自決」の記憶 小嶺さん、母と妹3人失う 沖縄 - 琉球新報デジタル (ryukyushimpo.jp)
現在も日本の米軍基地の7割が沖縄県に集中しています。
79年たっても沖縄県民の負担は大きいものです。
世界一危険な基地とされる普天間基地は小学校の隣です。
リゾートで知られる沖縄ですが、79年前は市民も巻き込んだ地上戦でした。
私は、ひめゆりの塔だけでもすでに10回は行っています。
平和の礎に行くと、79年前はどうだったのだろうといつも考えます。
南風原にある沖縄県陸軍病院だった防空壕もみてきました。
看護にあたっていたひめゆり学徒隊、どんな思いだったのでしょうか。
子どもと一緒に当時ひめゆり学徒隊だった方のお話も直接お聞きする機会にも恵まれました。
平和について考えるとき、過去の戦争を忘れてはいけないんだ、
二度と戦争は起こしてはいけないと強く思います。
争いのない、平和な世界を、被爆国である日本がこれからも世界に発信していく必要があるのではないかと思います。
3月から6月までの約3か月間、沖縄では梅雨の季節もありました。
沖縄の市民は、また学徒隊の方々は何を考えて看護にあたっていたのか、
きっと早く戦争が終わってほしいと願っていたと思います。
沖縄の深い悲しみは忘れてはいけない事です。
今年も手を合わせに行こうと思っています。