私の家族は、少し不思議な家族で、家族というより、個人が同居しているような家庭だった。

まぁ、機能不全家庭というやつでしょう。

 

はっきり認識したのは中学の頃からだと思う。

 

家族で会話をしたり、何かを対話をして解決したり、こちらの思っていることを聞いてもらうような事は、ほぼなかった。

 

そういうこともあり、社会に出てから、私も弟も対人関係や集団の中でとてもとても苦労した。

すべて自分で解決する、と言うのが基本だったので、とにかく「気が利かない」のである。笑

 

他人が欲しいもの、やって欲しい行動を、おそらく普通の家庭で育ったら汲み取る心の余裕と能力がある。

 

私や弟は、そうゆうマナーが全くわからず、「自分のことは自分でやる」と言う気の利かない人間として社会に出たので、「これ苦労したよね〜」と同じ場面で苦労していたことがわかったのが20代後半。

 

30代はまだ、家族関係に問題があっても、全員が何とか生きていれば、対話をする必要はほとんど無い。

 

ただ、40代になると、親も弱ってくる、そして、私たちも弱ってくる。

弱ってくるけれど、自分の子供はどんどん大きくなり大人になる。

 

考えなければいけないことも多くなるし、先のことを、なんとなくでも考え始めなければいけない。

 

「誰かに何かが起こったとき、後のことをどうしたいか?どうするか?」

 

など、即決できない物事のことも、話し合っていかなければいけなくなる。

 

そんな中、私の家族は、先のことも話さず、とにかく、今を生きているのである。

 

・・・

 

今日は自宅のテレビ配線点検をしてもらうため

午後、業者さんのバンを自宅の駐車場に止めることに。

 

敷地内には父の仕事場がある。

 

父は、自分の母親、すなわち私の祖母が施設から遊びに来る時、電話して、駐車場に車を置くからよろしくと連絡をする。

 

私は自宅に誰か呼ぶ事はないし、

点検工事等を呼ぶことも、ここ2年近くの中1度しかない。

 

私は、仕事、子育て、家事、生活の中のオペレーション95%位を自分が動かしているので、もちろん、部分的に抜けが出てくる。

 

で、今日私は車が1時間ぐらい泊まると言うことを父に連絡していなかった。

 

父から電話が鳴る。

「なんで車が置いてあるんだよ!いつもこっちは連絡してるだろう!こっちは仕事しに来たんだよ!車が置けねぇじゃねーか!!」

…この口調は、いつものことだ。

 

もう70になるのに、昔から、ずっとずっと自分の感情に身をまかせて怒る。

 

いつもそうやって、人と喧嘩して、度々縁を切ってきた。

 

それをずっと見ていた。

 

で、1年前ぐらいまではそこに反論しなかった。というか反論するという概念もなかったのです。

ただ黙って、心の中で処理して、流していた。

 

ただ、今年になって、自分が悪かったのに頭ごなしに怒ってきたことがあり、さすがに私も怒って返した。

 

そこで気づいた。

 

「私は、父や母の言動にむかついても、言葉で反論もしてこなかったのだ」

 

と。

 

・・・

 

そして今回も同じだ。

感情に身を任せて激怒し、その感情を投げつけられる私。

 

ここ半年、私も体調があまり良くなかったので、変に関わると調子に乗っていろいろ言ってくるため、距離をとっていた。

 

ただ、今日は、このままでは何も変わらないと思った。

業者さんが帰った後、私は息子と一緒に話をしに行った。

 

いつもと同じだ。

自分は怒りを放ってるから、スッキリしているというか、怒りを放ったことなんて忘れている。

 

だけど、私は冷静に言った。

 

「申し訳ないんだけれど、頭ごなしに怒らないでくれる?頭ごなしに怒りをぶつけられると、話し合いが一切できなくなる。」と。

 

そして父はいつも通り、何かごちゃごちゃ言い訳をする。

仕事に来たのにどうだ、ああだと。

 

「私も仕事してる。仕事してる上に、家事も育児もやっている。すべてのこと、スケジュールがを管理している。人間だから、全て完璧にはできないし抜けもある。申し訳ないのだが、頭ごなしに怒らないでくれ。そういう態度でこられると話し合いができないから。」

 

「ごめん。」と言っていた。

 

もうこういう歪んだコミュニケーションは、私の代で終わりだ。

 

私の息子はおそらく、未来に「物理的な命」をつないでいく人では無いから、息子で終わりだと思うのだけれど、そんな事は何より、「決めていかなければいけないことを話し合うことができる土壌」を準備していかないと、すべてのことがいきなり乗っかってくると予測できる。

 

いきなりは避けたい。

多分、歳を取れば取るほど、その重さは辛く感じると思う。

 

今日も「自宅のインフラ」を整えたけれど、「家族のインフラ」も整え始めたのかもしれない。