こんばんは。
東京都議会議員(品川区選出)
衆議院東京3区支部長の
あべ祐美子です。
暑い日が続きますが、いかがお過ごしですか?
私はお盆前に郷里・岡山に弾丸帰省。
原爆忌直後ということもあり、
広島まで足をのばして、
平和記念資料館を含む平和記念公園を訪れました。
まずは原爆ドーム。
川を渡ると、3年前にリニューアルされた
レストハウスがあります。
戦前に呉服店として建てられた被爆建物で、
奇跡的に原形をとどめています。
以前は観光案内所でしたが、
リニューアルを経て被爆関係の展示室と
カフェや土産物コーナーが設置されました。
緑に包まれた広大な平和記念公園も、原爆が投下されるまでは、
民家や商店、お寺や学校が建ち並ぶ暮らしの息遣いがあった町。
レストハウス3階の展示室には、
被爆前の町のジオラマや資料がありました。
一枚の地図からも伝わってきます。
この建物も中で働いていた方々は爆死。
地下室にいたお1人だけが九死に一生を得た、
その地下室も展示されていました。
いくつもの像や碑に足をとめながら、
平和記念資料館へ。リニューアル後初めての訪問です。
原爆忌直後ということもあって入館は長蛇の列でした。
遺品や実物に語らせるという展示の意図が
強く伝わってくる構成となっていました。
原爆が、非戦闘員に対する無差別殺戮であることも
まざまざと見せつけられます。
個人や家族、そして戦後の差別への目線も
伝わってきました。
後半の、核兵器に関わる展示エリアは
やたら明るく開放的で整然として、
率直に言って少々違和感も感じました。
隣に建つ追悼のための平和祈念館へ。
こちらは、資料館と違い人影もまばらです。
この建物には、被爆体験者の証言ビデオを見られるアーカイブ、
関連書籍などを集めた資料室もあり、
犠牲者の名前や遺影、体験記などの収集事業も続けています。
東京都では、平和記念館の建設を目指して
東京大空襲の証言ビデオを集めましたが、
石原都政下で計画が中止。ビデオもお蔵入りに。
議会で長年要望してようやく、
証言ビデオ公開に向けた確認作業に着手しました。
東京で何があったのか。記憶を持つ人は年々減っています。
残されたわずかな記憶を収集し、
記録として刻み、世代を超えて共有する責任を感じます。
昨年参加した、沖縄スタディツアーでは
沖縄戦の戦跡や各種資料館など
多くの場所を訪れ、また研究者の方から
さまざまなお話を聞きました。
そのことを思い起こしながら、
そしてまた悲惨な沖縄戦からさらに数か月後に
これだけの犠牲者を生んでしまったことに
改めて痛みを感じました。
非戦闘員への無差別殺戮。加害と被害。
多くのことが未消化のまま突き刺さっています。
路面電車で広島駅へ。