福島県・飯館村視察レポートの最終回。

 福島県庁で、県内の現状などについて、県企画部企画調整課の佐藤司主幹(復興推進本部担当)から、「ふくしま復興のあゆみ」という資料とともに、お話を伺いました。

 実はこれってすごいこと。区市町村議会からの視察は区市町村にお願いすることが通例となっていて、区市町村議会から都道府県というのは議会事務局を通しても難色を示されることが多いのです。しかも今回は視察日程に変更があり、打診をしたのが視察出発の数日前。県のお話も伺えれば、という私の希望に、この点でも高橋・飯舘村議会議員がとってもがんばって交渉してくださって、ウルトラCで実現したのでした。
 高橋議員、そしてご快諾くださった佐藤主幹、改めて御礼申し上げます。


 

 佐藤主幹が冒頭に話された「視察希望は断らない。可能な限り対応します」との言葉の裏に、今の福島を忘れ去らないでほしい、風化させたくない、という痛切な思いが感じられました。


 

 以下、お話の概要です。

【避難の状況について】

 原発事故から1か月後、避難指示区域は県面積の約12・5%だったのが、今年4月時点では約2.5%まで縮小。16万4千人余りだった避難者も約4万3千人に減少しました(といってもまだまだ大勢の方が避難中だし、自主避難者は集計にカウントしなくなったために減少した面も。レポート①でも少し触れましたが、帰還という選択もまた重たい決断です)

 下の地図で、格子の部分は避難指示が解除された地域。ピンクのところは帰還困難区域です。赤い点は特定復興再生拠点区域で、集中的に除染などを進めて5年以内に居住可能とすることを目指している区域あります。

 

 

【放射線量はどうなっているの?】

 

 県内では、除染作業は平成30年でいったん終わり、除去した土の管理や運搬をしている段階です。放射能の空間放射線量は事故後には赤や黄色の高いところが県東部に幾筋もありましたが、現在はほとんどが水色に。ただし、事故のあった現場から北西に向かう地域は、今も高い状態です。

 

 

 

 一部地域を除き、福島県内の放射線量は随分落ち着いてきているようです。帰還に向けた公営住宅の整備も行われています。しかし一方で、農産品の価格はまだ、全国平均より低いままです。このため、首都圏の消費者を対象としたモニターツアーや、農産物の生産プロセスの安全基準 GAPの認証数で日本一を目指す、などの努力を続けています。

 

【再生エネルギー100%に向けて】

 原発事故で大きな被害を被った福島県は今、新しい産業づくりに向けて動き出しています。県では再生可能エネルギーの導入を積極的に進め、2040年には県内エネルギー需要の100%を再生エネルギーで創出することを目指しているんですって! 国の見通しは2030年で13~14%なので、これは大きなチャレンジです。福島県だからこそ、この目標はぜひ達成してほしいし、その成功実績とノウハウを全国に広げてほしい。そのために、何か応援できることがあればと思います。

 その「福島新エネ社会構想」の一環として、福島県浪江町に水素エネルギーの研究・製造工場を建設中。福島県産水素は、来年の東京オリンピック・パラリンピック会場のエネルギー源として使われる計画です。

https://www.nedo.go.jp/news/press/AA5_101007.html

 

 そういえば飯舘村内でも、各所でメガソーラーを目にしました。

 

 また、廃炉技術に欠かせないロボット技術の研究を行う国家プロジェクト「福島ロボットテストフィールド」も南相馬市に建設が進んでいます。大規模災害に対応した無人航空機や災害対応ロボット、水中探査ロボットなどの研究開発から実証実験、操縦訓練などが一貫して行える一大拠点ですって! すでに段階的に運用を開始しており、見学も可能だそうです。

https://www.fipo.or.jp/robot/

 

 原発事故で大きな被害を被った福島の産業が、新たな技術で日本をけん引する立場になってくれればと思います。

 一方で、国では2020年度末を復旧・復興の総仕上げとしており、その後の復興予算については不透明です。2020年末までの時限組織である復興庁は、存続の見通しとなってきましたが、今後の予算によっては復興の速度が影響を受けるのではないか。心配です。

 

 「光が強くなるほど、影も濃くなる」。佐藤主幹の言葉です。

 復興によって活力を取り戻していくほどに、そこから取り残されてしまった人たちとの格差も開いていく…そんなふうに受け止めました。でもそれだけではない複雑な思いがきっと詰まっていることと思います。

 

 下の写真は、県庁の中庭の耐震補強。建て替えの議論もあったそうですが、見送られたそうです。

日当たりも悪くなって大変でしょうが、ビジュアル的にはわりと好きです。


 

 
【最後に】

 東日本大震災後、被災地には大きな注目が集まりました。多くの方々と同様、私もボランティアや視察で被災したいくつものまちを訪れました。でも原発事故のあった福島県の被災地域には、避難指示も出ていて、訪れることも交流の接点も見つけられないままでした。

 品川区は、震災前から富岡町と防災協定を結んでいました。区として義援金や物資の支援、職員の派遣などおこないましたが、その先の交流にはなかなかつなげていくことができない。そんなもどかしさも8年余りのうちに、薄らいでいきました。

 でも、除染作業が進み、避難指示が解除される地域も出てきました。今だからこそ、事故直後にはできなかったこと、分からなかったことを直接見ることができるのではないか。「福島は結局、大丈夫なのか?大丈夫じゃないのか?」を考えるヒントが欲しくて、昨年SNS上で偶然知り合った飯舘村の高橋村議会議員を頼って、ようやく訪ねることができました。

 

 福島県内の多くの地域では放射線量も東京並みに下がっており、農作物からも基準値を超える放射性物質は検出されていません。そもそも生産者側で、国基準より厳しい自主基準を設けています。そういう意味では「福島は、ほぼ大丈夫になってきた」という感じです。

 でも、ひとの暮らしは大丈夫とは程遠い状況です。原発事故によって日々の営みの蓄積から切り離され、仕事を失い家族と別居し健康不安に怯え助け合える旧知の人たちも今後の見通しも持ちにくいなかでの8年間。もちろん、その中でも前向きに生きていこうと頑張るひとたちは大勢います。だからこそ、支援というよりは応援をし続けていきたい。そして頑張るひとたちの姿から私自身も多くを学ばせてもらいたいと強く思いました。

 お世話になったみなさま、ありがとうございました。

 

【最後の最後】

 下の写真は飯舘村の山津見神社。狛犬は、なんとオオカミ…!

 

 

 神社の拝殿は、オオカミの天井絵で有名でした。その拝殿も震災で焼け落ちてしまいましたが、なんと震災直前に和歌山大学の研究者が神社を訪れ、詳細な記録と撮影を残していたそうです。

 震災後、東京芸術大学の協力で記録を基に242枚のオオカミの天井絵が復元され、2016年に神社に奉納されました。新たな拝殿の天井には再び、オオカミが走り回っています。山津見は山祇(やまつみ=山の神)、山つ霊。山の神様はことのほかオオカミを可愛がっているのかもしれません。

 このオオカミの天井絵のように、多くのひとの力で、過去と未来がつながっていくことを願います。 
 

 4回にわたる長文をお読みいただき、ありがとうございました。