品川・ジュネーブ友好協定25周年にあたり、友好憲章の再確認署名の公式訪問団の一員として、9月15~20日、ジュネーブを訪問しました。遅くなりましたが、このブログで概要をご報告します。(区のHPに掲載されていないぶん、少し詳し目です)

 

 

品川寺(ほんせんじ)の大梵鐘をめぐるご縁をもとに、品川区とスイス・ジュネーブ市の友好憲章が結ばれたのは1991年。以来、品川とジュネーブの中高生が隔年でホームステイ交流を続け、その数は計400人に上っています。

 

また締結の年には、区民を中心とした250人の大訪問団がジュネーブを訪れ、10周年の際にはジュネーブから公式訪問団ならびに150人の少年少女音楽団が来訪。5年ごとに交互に公式訪問する予定でしたが、震災などのためここ数回は中止になっていました。今回の訪問団メンバーは、区長、区議会議長、区議会議員、区議会事務局、区職員、それに区友好協会職員の計11人です。

 

【16日(金)】

1枚目の写真は、16日午前に行われた友好憲章の再署名。左端が濱野・品川区長、その隣がバラゾン・ジュネーブ市長です。この建物は市が管理しており、歴史の重みを感じます。

 

 

午後にはジュネーブ市立植物園・研究所を視察。市の予算の20%以上が文化関係に充てられていると聞いて驚きました。夜にはジュネーブ市主催の夕食会にお招きいただきました。
 

 

【17日(土)】

ジュネーブは、数多くの国際機関が本部や事務局を置いている国際都市でもあります。17日午前には、市内の国連欧州本部を見学しました。

 

下の写真は、2500人が入れる欧州本部最大の会議場。国際連盟時代から使われていた理事室は、5人の巨人が手をつないだ金色の天井画が圧巻でした。五大陸が戦争回避のため協力することを示した寓意だそうです。


 

下の写真は国連新館の企画展。核兵器廃絶がテーマで、広島、長崎関連の展示物もありました。この場所で千羽鶴や日本語の署名を見ると、感慨もひとしおです。


 

夜には、ジュネーブ・品川友好協会(AAGS)主催の夕食会にお招きいただきました。AAGSは隔年で品川の子どもたちを受け入れてくださっているだけでなく、公園に桜の植樹をしたり、大変活発に活動してくださっています。

今回の訪問でも、到着の瞬間から出発まで、驚くほど周到におもてなししていただき、多くを学ばせて頂きました。
 

下の写真は、仲良くなった会員のお一人と。着物を着ていったら喜んでくださいました。着付けはもう少し練習しなくては…(^^ゞ

 

 

【18日(日)】

18日の朝、旧市街の中心にある聖ピエール大聖堂で合同礼拝が行われました。

 

前半のキリスト教の礼拝では、牧師さんから訪問団への歓迎、梵鐘をめぐる品川とジュネーブの友好の歩みなどについてお話があり、後半は品川寺関係者による読経が大聖堂に響き渡りました。


 

午後は、アリアナ美術館の庭園にある梵鐘の法要でした。

梵鐘をめぐる歴史は後日、詳しく書くつもりですが、かいつまんでお話しすると…

 

17世紀に鋳造された品川寺の大梵鐘が明治時代、万国博覧会に出品された後行方不明になったのですが、その梵鐘はスイスの鋳造所に置かれていたところをジュネーブの富豪が買い取って、美術館の開館閉館を告げる鐘として使っていたのです。そのことを知った品川寺住職の働きかけで返還運動が展開され、ジュネーブ市議会の議決により1930年に返還が実現。25年前、品川寺が返還のお礼として梵鐘のレプリカを贈ったことを機に、友好憲章が結ばれました。

 

鐘の響きを聞きながら、数奇な運命、熱意と善意が生んだ絆に、思いを馳せました。


 

【19日(月)】

実質は中3日の滞在で、連日朝から夜遅くまで公式日程がびっしり。出発日の夜明け前、ひとりでレマン湖周辺を散策しました。

右手の旗は、ジュネーブ市の紋章。お天気が良ければ正面に見えるはずのモンブランは、雨続きの今回の滞在中、一度も顔を出してくれませんでした。


 

今回の訪問の最大の収穫の一つは、AAGSやジュネ―ブ市関係者が、この協定をとても尊重していることが実感できたことです。一方で、事業全体に対する区民への周知や理解、参画への工夫など、いろいろと見直すべき点もあると感じました。このあと、さらに経費面も踏まえて、11月の本会議の場で提言したいと思います。