追悼 西郷輝彦
共同通信社の依頼で西郷輝彦の追悼文を書きました。2月下旬から3月上旬にかけ、北海道新聞、東京新聞、信濃毎日、京都新聞、長崎新聞など全国10数紙に掲載されました。
西郷との付き合いは古く、彼がレコード・デビューした1964年
改めて西郷輝彦の霊よ安らかに。
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西郷輝彦さんを悼む/昭和の歌謡界に新風
共同通信配信記事は2月28日付け新潟日報にも掲載されました。
黒く、やや太めの眉毛、くっきり目立つ目鼻立ち、いかにも意志の強そうな両頬の張り具合、目にはどこかチャーミングな輝きが灯っていた。その面構えはまさに九州男児である。鹿児島県出身。芸名の姓が同じ鹿児島生まれ、かの西郷隆盛にあやかっているのはいうまでもない。
歌謡曲が大衆芸能のど真ん中に位置していた昭和30年代のスター歌手であった。1964年(昭和39年)、創業間もないクラウンレコード(現日本クラウン)からデビューした。
男前の上、独特の鼻にかかった甘い節回し、その相乗効果が若い女の子たちの胸を揺さぶったらしい。1発目の「君だけを」から大ヒットとなった。
昭和の歌謡界を闊歩した流行語のひとつに〝御三家〟という呼び方がある。橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦の3人を引っくるめての名称である。橋が43年、舟木が44年、西郷が47年生まれ。年齢は確かに近い。しかし、同じ歌謡曲というジャンルに生息していても持ち味は微妙に異った。
主に橋は股旅もの、舟木は学園もの、西郷は青春ものが看板だった。レコード会社も橋、舟木はそれぞれ異る老舗、西郷は新興と別々だった。ひとりでも飛ぶ鳥を落とす勢いなのに、3人で共同戦線を張ったのだ。
Jポップはまだ登場していなかったが、ロカビリーブームはすでに吹き荒れていた。本人たちも周囲のおとなたちも、そろそろ大衆音楽の潮目が変わる時節と先読みし、それに備えようとしていたのかもしれない。
時流に最も敏感だったのは西郷だった。ロカビリーの総本山ともいうべき日劇ウェスタンカーニバルに出演したこともある。ジャズが出自の作曲家浜口庫之助と組んだ「星のフラメンコ」は、彼のヒット曲の中で一番のスタンダード・ナンバーとなる。リズム感あふれる作風にぴったりの張りのある声、フラメンコ風のジェスチャーが当時の歌謡界に新しい風を巻き起こした。
振り返れば、西郷が人気を極めた60~70年代は、日本の高度成長期とおおむね重なり合う。潑剌とした彼のステージを目に浮べつつ、同時に元気の良かったあの時代に思いを致さずにいられない。
昭和の空気をまとった歌手・俳優がまたひとり消えた。合掌。
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出世街道を超スピードで…。
クラウン・レコードが売出した新人歌手 西郷輝彦
今からなんと58年前の記事です。西郷17歳でした。
ことしの一月、日劇の「ウエスタン・カーニバル」で、「君だけを」を歌ったとき、客席から、まばらな拍手しか起らなかった。レコーディング以前だったし、居並ぶロカビリー歌手のなかで、流行歌を歌ったのは彼ひとりしかいなかったからだ。
「あのときは、ぼくだけ場違いみたいで、とても居心地がわるかった」と告白する西郷だが、いまやロカビリー出身の流行歌手では北原謙二に次ぐホープにのし上がった。「君だけを」のシングル盤も、二月十五日発売以来、現在までで五十万枚のヒットを記録したという。
続いて吹込んだ「チャペルに続く白い道」が二十五万、「星空のあいつ」が二十万、「十七歳のこの胸に」が十万と連続長打が出たことは、彼がただの一発屋ではない証拠でもある。
とくに「十七歳のこの胸に」は、八月発売だが、出足の速さは「君だけを」のとき以上。西郷のレパートリーのなかでは最大のヒットとなりそうというので、東映が目をつけ映画化を決めた。九月早々クランクイン予定で、西郷と本間千代子が主演することになっている。
しかも、それに先立って彼の初めてのLPも出る。ハワイ公演にも出掛けた。出世街道を超スピードで突走る、文字通りラッキーな新人歌手といえよう。
西郷輝彦は、昭和二十二年二月五日、鹿児島県谷山市の生れ。生年月日が弘田三枝子とまったく同じというのも面白い。
高校を中退して上京、バンドボーイやロカビリー楽団の歌手をつとめるうちに、このチャンスをつかんだ。
「両親には何度か帰ってこいといわれましたが、とうとう、がんばってしまいました。芸の幅をひろげてボードビリアンになりたいですね」
と、若いだけに夢も大きい。
流行歌だけでなく、ジャズも歌いまくりたいそうだ。
このところ、NHKテレビ「若い季節」に出演していることも手伝って人気は上昇するいっぽう。ファンレターは、若い女性から日に二千通もくるそうだ。
ところで西郷は、クラウン・レコードが売出した新人第一号。先ゆきが危ぶまれた新興会社の幹部たちも、彼の出現でほっと胸をなでおろしているにちがいない。