ブロードウェイに縁のあるすべての人たち、俳優、表方・裏方、プロデューサー、批評家、観客……誰からも敬愛されていた作詞家・作曲家のスティーヴン・ソンドハイム氏が亡くなられました。去年(2021年)11月26日のことです。乞われるまま追悼文をふたつ書きました。毎日新聞と劇団四季会報「ラ・アルプ」です。併せてここに再掲載し、〝ミュージカルの巨星〟の死を心より悼みたいと思います。

 

  ちなみにソンドハイム・ミュージカルからは多くの名曲が生まれています。作詞を手掛けた『ウエスト・サイド・ストーリー』からは「トゥナイト」「サムホエア」、作詞作曲ともに腕を振るった『リトル・ナイト・ミュージック』からは「道化師を送って(Send in the Clowns)」など。これらの曲はさまざまな歌手が歌い、永遠のスタンダード・ナンバーになっています。そういえば彼の作詞・作曲した名曲のひとつに「アイム・スティル・ヒア(I'm Still Here)」(『フォーリーズ』)という曲がありました。ソンドハイムは、時折、天国から私たちのそばに降り立ち、この言葉をつぶやいてくれているのかもしれませんね。

 

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楽曲と歌詞の見事な合体     (毎日新聞1月17日付け)

 

  作詞、作曲の二刀流。ミュージカルの巨匠、ブロードウェイの至宝と謳われた。アメリカ最高の演劇賞トニー賞で、作品賞、作曲賞など計8回の受賞に輝く。スティーヴン・ソンドハイム抜きにして20世紀後半、特に1960年~80年代のミュージカル史を語ることは不可能だろう。

 

 彼の作品は題材からして一筋縄ではいかない。複雑な恋模様を描いた『リトル・ナイト・ミュージック』、殺人鬼が主人公の『スウィーニー・トッド』、有名童話を皮肉に読み替えた『イントゥ・ザ・ウッズ』など。当然、その楽曲はひと捻り、ふた捻りしてある。ジャズ、クラシック音楽の影響を受けた曲調は幾分高踏的だが、そこがまたたまらない。歌詞も脚韻に凝るなど遊びが多い。更にはその両方の合体ぶりの見事なこと。

 

 19世紀半ば、開国を迫られた日本に材をとった『太平洋序曲』という作品もある。日本版演出宮本亜門。この舞台が痛く気に入ったソンドハイムはアメリカ公演の実現のために大いに力を尽くす。幸いトニー賞リバイバル作品賞にノミネートされた。

 

 2021年11月26日没。91歳。亡くなって間もない12月9日、ブロードウェイで70年初演の『カンパニー』最新版が開幕した。結婚か独身かで悩む主人公は、現代の世相を反映して男性から女性に変えられた。ソンドハイム・ミュージカルはこのように時代に即応しながら末長く愛され続けていくことだろう。

 

 『ウエスト・サイド物語』にも歌詞だけだが名を残す。言葉と音楽の相関関係を知り尽くした天才であった。

 

 

 

作詞作曲、一人二役で多くの名作を残す 

                                            劇団四季会報「ラ・アルプ」1月号)

 

 スティーヴン・ソンドハイムの訃報に接したとき、とっさに気になったのは、スピルバーグ監督渾身のリメイク、映画『ウエスト・サイド・ストーリー』は間に合っただろうか、その一点だった。果たして12月10日の全米公開の前にソンドハイムに見てもらえる機会があったかどうか?原作の舞台版『ウェストサイド物語』のクリエイティヴ・チームのうち、生き残っていたのは作詞のソンドハイムただひとりだけだったのだから。

 

 スティーヴン・スピルバーグ監督にしてみれば、誰よりも先ずソンドハイムに見てもらい率直な意見を聞きたかった、というより大いに褒めてもらいたかったにちがいない。

 

 幸い突然の死とすれすれで見てもらえることがかなったようだ。作品の公式サイトに「全体に輝きとエネルギーがあり、新鮮に感じられます」というコメントが残されている。

 

 『ウェストサイド』ブロードウェイ初演が開幕したのは57年9月26日、ソンドハイムはまだ27歳、とても若かった。当然、その歌詞には若さと若さ故の情熱と純粋さが刻印されている。「トゥナイト」の率直過ぎるくらい率直なロマンティシズムがそれを証明して余りある。プエルトリコの若者の視線でアメリカ社会を存分に皮肉る「アメリカ」のシニシズムの鋭いこと。

 

 10歳ごろ高名な作詞家、脚本家オスカー・ハマースタインⅡ世(『王様と私』『サウンド・オブ・ミュージック』)の息子と友達になり、父親を紹介される。ソンドハイムはハマースタインⅡ世をメンターとして慕うようになる。

 

 もともとソンドハイムは作詞以上に作曲に関心があった。『ウェストサイド』は作詞のみのオファーだったので大いにちゅうちょするところがあった。蔭でこの高名な作詞家・脚本家が背中を押さなかったら、ソンドハイムは乗らなかったろう。

 

 その後、彼はごく自然のなりゆきであらゆる作品において作詞、作曲両方に携わるようになる。大半の作品が彼の発案によるもので、ヒット作、話題作として注目を浴びた。『ローマで起こった奇妙な出来事』『カンパニー』『フォーリーズ』『リトル・ナイト・ミュージック』『太平洋序曲』『スウィーニー・トッド』『ジョージの恋人』『イントゥ・ザ・ウッズ』『パッション』……。大半が映画化されている。

 

 彼のミュージカル・ナンバーのことごとくが、歌詞と曲との不即不離、一体感、それゆえの独特な洗練味を感じさせるとすれば、すべての楽曲が一人二役で創作されているからにほかならない。

 

 今、題名を列挙したソンドハイム・ミュージカルは、『フォーリーズ』以外、多分すべての日本版が上演されているはずだが、その嚆矢となったのは、1979年6月、日生劇場での『リトル・ナイト・ミュージック』(劇団四季、日本ゼネラルアーツ提携公演)である。越路吹雪が主役の恋多き舞台女優デジレ、市村正親、鹿賀丈史、三田和代ら四季勢が周りをがっちり固めた。

 

 『リトル・ナイト』といえば主題曲の「センド・イン・ザ・クラウンズ」である。ソンドハイムの曲は起伏に富んでいるようで平淡であり、またその逆でもあって、なかなかの難曲である。

 

 この曲はプロ歌手の間で人気が高く、フランク・シナトラもとても大事に歌っている。ホアキン・フェニックス主演『ジョーカー』のなかでもシナトラの歌やフェニックスの鼻唄でしばしば流れる。

 

 ソンドハイムは二度来日している。いちどは1974年、『太平洋序曲』の資料集めのためで演出家のハロルド・プリンスといっしょだった。義太夫、長唄から直近の歌謡曲までなんにでも興味を示した。縁あって私も少し収集のお手伝いをした。

 

 もういちどは、2000年、高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したときである。偶然だが、新国立劇場で宮本亜門演出『太平洋序曲』が上演されていた。原作者に見てもらえたことはこの公演にとって大きな僥倖であった。

 

 『ハミルトン』のリン=マニュエル・ミランダをいち早く評価したように、若き才能への声援を決して怠ることがなかった。いつ会っても優しい目差しがひときわ印象的だった。2021年11月26日逝去、享年91。

 

 

掲載紙(誌)によって作品名、曲名などの表記に些少の相違があり

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