歴史的名盤ジュディ・ガーランドの「ジュディ・アット・カーネギー・ホール」日本盤(CD2枚組み)が初めてリリースされました。1961年、ニューヨークのカーネギー・ホールでおこなわれ、世界を変えたといわれるコンサートのライブ盤です。ライナーノーツを執筆しましたので、紹介させていただきます。

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  ひとりですっくとステージ中央に立ち満員の客席と対峙する。舞台上には本人以外バックバンドのみ。司会進行を含め、ことコンサートの全責任はその日の主役の歌手ひとりが背負う。舞台、客席にあふれる緊張感にちょっとでも気圧されたら歌手の負けということになる。

 

 そう、この張り詰めた空気こそワンマン(ワンウーマン)・ショウの醍醐味だが、緊張感だけでは聴衆は肩が凝ってしまう。贅沢をいわせてもらうとリラックスした気分も味わわせて欲しい。一流のエンターテイナーともなるとそのあたりの空気の読み、匙加減たるやそれはもう絶妙極まる。

 

 もちろん酸いも甘いも十二分に心得たジュディ・ガーランドである。曲の配列、お喋りの間合い、バックバンドとの呼吸、すべていうことなし。どこまでが計算でどこまでがアドリブなのか。彼女自身、会場がクラシックの殿堂カーネギー・ホールであることを忘れている気配さえうかがえる。

 

 『ジュディ・アット・カーネギー・ホール』は、20世紀のもっとも優れたショウ・ウーマンのひとり、ジュディ・ガーランドの卓越した歌唱力、豊かな声量、飾らぬ人柄、自在な観客への対応ぶりなどがひしひしと感じられるライヴ録音の名盤である。円熟したおとなの歌、おとなの芸とはなにかを知りたかったら、このアルバムを聴けばいい。

 

 プログラムにはスタンダード・ナンバーの王道を往くような曲目がずらりと並ぶ。ここでいうスタンダード・ナンバーとは、もとはショウ、ミュージカル、映画のために書かれた曲だが、さまざまな歌手、楽団が好んでとり上げたことにより永遠の生命を得た曲を意味する。とりわけジャズ畑の一流アーティストがどれだけ歌ったり演奏したりしてくれたかがひとつの決め手となる。

 

 すなわち多くの歌手、バンドに愛されるだけの魅力を備えた楽曲である。

 

 一例を挙げる。ガーランドが第1部(DISC ONE)で7番目に歌う「フー・ケアズ」である。

 

 この曲は、ブロードウェイ・ミュージカル創成期の1932年、『君がため我は歌う』のためにアイラ・ガーシュウィン(作詞)、ジョージ・ガーシュウィン(作曲)兄弟が書いたものだが、もとの舞台とは関係なく多くの人々がレパートリーにとり入れてきた。フレッド・アステア(ベニー・グッドマン楽団と共演)、エラ・フィッツジェラルド、サミー・デイヴィスJr.……。ジョージ・バランシン振付のバレエ作品もある。

 

 スタンダード・ナンバー化した楽曲には常に作詞家、作曲家の名前がついて回る。歌手やバンド・リーダーが舞台上で口にするし、当然、パンフレット類にも明記される。

 

 カーネギー・ホールでのガーランドの曲目表に目を遣ると、ガーシュウィン兄弟共作の曲が「いつからこんなことに」「霧深き日」などほかにもある。またアイラのみ作詞家として係わっているものでは「行ってしまった彼」、ジョージのみ作曲家として名を連ねているものでは「スワニー」がある。いかにガーランドのガーシュウィン兄弟への敬愛の念が大きく、また深かったか想像に難くない。アメリカ音楽史上最高のレジェンドたるふたりにあやかりたいという意志表示でもあるのだろう。

 

 ジュディ・ガーランドの一生はごく短い。1922年に生まれ、69年に世を去った。その短い人生でもっとも恩恵を受けた作曲家はハロルド・アーレンである。彼女にとって生涯の宝物、ふたつのオリジナル・ソング「虹の彼方に」「行ってしまった彼」を作曲した当の人物なのだから。

 

 いうまでもなく前者は、16~17歳の彼女を一気にハリウッドの人気スターに押し上げた映画『オズの魔法使』の主題歌である。彼女のもっともよく知られた持ち歌だが、サラ・ヴォーン、ドリス・デイらが歌い、完全にスタンダード・ナンバー化している。

 

 映画評論・音楽評論の大先達、野口久光氏の名著「素晴らしきかな映画」のなかに次のようなくだりがある。

 

 「じつはこの主題歌は完成試写を観たMGM幹部にウケがわるく、この歌をカットせよということになっていた。プロデューサーの助手としてこの映画に協力したアーサー・フリードはとんでもないとそのカットに反対、身を張ってお偉方を説得、公開寸前にこの主題歌のうたわれるシーンをもとに戻したという。もしこの曲が外されていたらアカデミー賞はもとより、作品も大ヒットとならなかったかもしれない。」

 

 アカデミー賞とは、主役ドロシーを演じたガーランドが受賞したアカデミー賞子役賞のことだが、主演女優賞をあたえるにはあまりにも若過ぎる彼女のために特別に設けられた賞だと聞く。

 

 同じくアーレン作曲のもうひとつのほうは映画『スタア誕生』の挿入曲として知られる。ガーランドは、一介のバンド・シンガーから一躍大スターの座に上り詰めながら、最愛の夫が自殺するという悲劇に見舞われるヒロインを演じて、鬼気迫るものがある。劇中の歌いぶりも凄みが漂う。

 

 この映画のためにアーレンに新曲を書いてもらおうというアイディアを出したのは、ガーランド自身らしい。少女の頃、「虹の彼方に」と出逢えた幸運をずっと忘れずにいたのだろう。

 

 ガーランド自身とは直接からんでいないものの、彼女が好んで歌うアーレン作品が当夜のプログラムにもう1曲あった。ブロードウェイ・ミュージカル『セント・ルイス・ウーマン』(1946)のなかで使われた「降っても晴れても」である。もとの舞台は不発に終わったが、この曲だけはビリー・ホリデイらが歌い継ぎ生き残った。

 

 映画女優としての演技、存在感はさて措き、ジュディ・ガーランドがどのようなショウ・ウーマンだったか、それを知るための手掛かりとなる映像はあまりない。そのよすがとなりそうなもののひとつは、映画『サマー・ストック』(1950)のなかの「ゲット・ハッピー」を歌い踊る場面である。

 

 黒のソフト帽、黒の紳士用ジャケットで決めたマニッシュなスタイル、網タイツのスレンダーな両足を惜し気もなく晒す。身長わずか153㎝だったそうだが、そんなおチビちゃんには見えない。映画『ザッツ・エンターテイメント』(1974,DVDあり)にも収められていて、ゲスト出演している長女のライザ・ミネリが「ダントツでしょ、これ」と太鼓判を押している。

 

 あとは『スタア誕生』のショウ場面だろうか。

 

 ジュディ・ガーランドがこの世を去って50年以上の歳月が過ぎた。もう疾に過去の人か?とんでもない。最近、晩年の彼女に焦点をしぼった映画『ジュディ虹の彼方に』が公開され、この天才的エンターテイナーへの人々の関心がふたたび高まっている。ガーランドが憑依したかのようなレネー・ゼルウィガーの演技、歌唱には茫然とするしかない(ゴールデングローブ賞主演女優賞受賞)。

 

 とりわけロンドンのナイトクラブ、トーク・オブ・ザ・タウンでのステージは、生のガーランドはきっとこうだったのだろうなと思わせるリアリティにあふれている。一挙手一投足、すべてがガーランドの化身である(ライヴでガーランドを見たことないくせに、こんなことを図々しく書くのはなんだけれど)。ジュディ・ガーランドのような本物は誰か後輩に乗り移って永遠に生き続けるのだろう。

 

 アルバムのなかのニューヨークのカーネギー・ホールと映画のなかのロンドンのトーク・オブ・ザ・タウンは、一直線に結びついている――こんな思いは私のひとりよがりだろうか?いや決してそんなはずはない。

 

 

全26曲、もちろん「虹の彼方に」も聴くことが出来ますよ。

(ユニバーサルミュージック合同会社、2020年3月4日発売)