3月3日、東京會舘でおこなわれるはずだった「和田誠さんを囲む会」が、コロナウィルスの煽りを喰らって中止になった。和田さんは去年10月7日に亡くなっているので、「囲む会」は「偲ぶ会」の誤りじゃないのと不審に思われる向きもあろう。誰とも分けへだてなく笑顔でお喋りを楽しむ和田さんだったので、このような名称になったのです。

 

 和田さんは音楽、映画にくわしかった。会が開かれていたら、さまざまな出席者たちとこの手の話題で盛り上がったろうに、誠に残念だ。

 

 和田さんはイラストレーター、グラフィック・デザイナーなのに、なぜ音楽に強かったのだろう。ひとつには父精氏のDNAと関係があるのではないか。精氏は日本における音響デザイナーのパイオニアであった。日本近代演劇の元祖、築地小劇場の創立同人から放送界(NHK、毎日放送)に転じ、ラジオドラマの演出面で大きな足跡を残している。効果音の創出(ざるに入った豆を揺さぶることで寄せては返す波を表現するというような)では第一人者だったと聞く。

 

 和田さんが音楽に強かったというのは、そもそも父親譲りで耳がよかったことがベースにあるのではないか。

 

 和田誠さんは、映画、演劇、音楽に関する数多くの著作を残している。そのなかで特に私が愛してやまない一冊に「ビギン・ザ・ビギン―日本のショウビジネス楽屋口―」(文春文庫)がある。今、有楽町マリオンのある場所にでーんと構えていた、日本のショウ・ビジネスのフラッグシップ日劇(日本劇場)についての著作である。

 

 レヴューの殿堂であり、ロカビリー・ブーム発祥の地でもある日劇に関しては資料があまりない。日劇に大きな足跡を残しているプロデューサー、演出家の山本紫郎氏が和田さんの叔父に当たるところから、この著書には山本氏の生々しい証言がいっぱい詰め込まれている。

 

 ちなみに本の題名「ビギン・ザ・ビギン」は、この曲の作曲者コール・ポーターの伝記映画『夜も昼も』公開時、山本氏が早々に越路吹雪を試写に連れていったエピソードに由来している。

 

 ふと思い出した。直接、和田さんからこんな〝ちょっといい話を聞いたことがある。映画評論、音楽評論の大先達、そして和田さん同様、似顔絵の達人でもあった野口久光氏からのアドバイスにちなんだものである。

 

 「君、ジャズのスタンダード・ナンバーが好きらしいけれど、曲だけでなく歌詞もおろそかにしてはいけないよって。そのひとこと、僕は意外に真面目に実行しているんだよ」

 

 (オリジナルコンフィデンス  2020/3/23号 コラムBIRD’S EYEより転載)

 

 

 「ビギン・ザ ・ビギン」は数ある和田誠氏の著作のなかでもひときわ輝く名著です。

 

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CONFIDENCE (通称オリコン)誌に1988年8月8日号から連載して来た当コラムも、同誌の休刊に伴い今回で終了となります。2007までは月2回、08年からは月1回の連載でした。音楽業界を中心に多くの方々に読んでいただきました。またameba,facebook に転載するようになってのちは、更に多くの皆さんのお目に触れたことと思います。30年を超える、我が人生、最長のコラムです。

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