去る7月31日、ブロードウエイの巨匠ハロルド・プリンスさんが亡くなりました。

 

『ウエスト・サイド物語』『屋根の上のヴァイオリン弾き』のプロデューサー、『エヴィータ』『オペラ座の怪人』の演出家として知られるブロードウエイの巨人です。

 

幕末に材を得た『太平洋序曲』の製作者、演出家として日本人にとっては忘れてはならない人物でもあります。
劇団四季会報「ラ アルプ」9月号に寄稿した追悼文を再録します。

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  プリンスが演出した数あるブロードウェイ作品のなかで、洗練、気品、洒脱の極地ということだったら『リトル・ナイト・ミュージック』(1973)を措いてほかにない。多彩で奥行きのある人生模様を浮き彫りにした点でも格段に優れていた。55年に及ぶわがブロードウェイ観劇歴のなかで、依然としてナンバー・ワン・ミュージカルである。

 

  しかし、人気という尺度で計れば今更いうまでもなく『オペラ座の怪人』が群を抜いている。ニューヨークでの開幕は88年1月26日。それに先立つロンドンでのオープニングは86年10月9日であった。もちろんロンドン、ニューヨーク両公演とも、今なお、日々ロングラン記録を更新し続けている。

 

  劇団四季による日本公演の初日は、今となっては遠い昔の88年4月29日である。於日生劇場。ブロードウェイと同年に踵を接して開幕したことになる。以来、全国各地で繰り返し上演され続け通算回数は7195回(2019年7月31日現在)に達するという。

 

 『オペラ座の怪人』のこのような世界規模での驚異的な成功は、芸術性とエンターテインメント性をものの見事に融合させたプリンス演出抜きにしてはまったく考えられない。

 

  ブロードウェイでの『オペラ座の怪人』開幕のちょっと前に、稽古がおこなわれているスタジオを覗いたことがある。ちょうど怪人(マイケル・クロフォード)がクリスティーヌ(サラ・ブライトマン)の声に魔法を仕掛ける場面の小返しがおこなわれていた。(第1幕第4場「地下の迷路」)怪人がうしろからクリスティーヌの首のあたりに手を回すその仕草、その際のクリスティーヌの首の傾け具合など、プリンスがひとつひとつ細かい指示を出しているのにびっくりさせられた。

 

  天井から客席に向ってシャンデリアを突き落とすだけがこの演出家の売りなのではない、その裏にはこのような目に見えない繊細な演出の積み重ねがあることを思い知らされたからだ。

 

  東京初演時のダメ出しでは、第2幕第3場「支配人のオフィス」、第4場「『ドン・ファンの勝利』の稽古」に出された助言が興味深かった。ピアンジ、クリスティーヌ、カルロッタ、マダム・ジリー、コーラスらが新作の稽古をそっちのけにして大騒ぎし、挙げ句の果てにピアノが勝手に鳴り出すあの場面である。

 

  登場人物それぞれ考えが違う、もっとてんでばらばらに自己主張するように、四季の俳優はお行儀がよ過ぎるというのが、プリンスからの注文だった。

 

 『エビータ』についてひとりごとのようにつぶやいた秘話も忘れられない。

 

 「あのミュージカルには作詞家(ティム・ライス)と作曲家(アンドリュー・ロイド=ウェバー)はいるけれど脚本家はいない。演出家の役割を超えて私が脚本家の代わりを務めた部分が結構ある。将校たちの椅子とりゲームの場面ね、あそこは私が考えたんだよ」

 

 プロデューサーとしても『ウェストサイド物語』『屋根の上のヴァイオリン弾き』など名作を世に送り出している。2006年の生涯功労特別賞を筆頭にトニー賞受賞は計21個を数える。史上最多である。人呼んでlegend, giant, titan, etc.

 

  しかし私は彼が何よりも反権力主義者、自由主義者だったことに共感を覚える。その彼の本質は『~ヴァイオリン弾き』『キャバレー』『蜘蛛女のキス』『パレード』などの作品に垣間見られるはずだ。

 

 外柔内剛。大人(たいじん)の風格があったが気さくな人柄だった。私のことはmy palと呼んでくれていた。享年91。心よりご冥福を祈る。

 

中央ハロルド・プリンス氏、左は振付家スーザン・ストローマンさん、右筆者。

2015年10月、『プリンス・オブ・ブロードウエイ』東京公演の際、
東急シアターオーブ稽古場にて。