©DaisukeYoshinari

 

 幕が開き、舞台中央、やや後方に立つ大竹しのぶを目にした瞬間、私はふと錯覚したくらいだ。そこにいるのはピアフではないか、と。背格好、シンプルな黒のドレスがそう思わせたふしもある。しかし、それ以上に、今宵はエディット・ピアフの歌の数々と真正面からとり組むつもりよという、彼女の固い決意が切々と伝わってきたからだろう。

 

 『大竹しのぶピアフコンサートSHINOBU avec PIAF』(1月25日、オーチャードホール)は、女優の余技を遥かに超えた聴き応えのある出来映えだった。

 

 実は開演前、2150席のオーチャードは、プロ歌手ではない大竹には大箱過ぎるのではと心配したが、歌い出すとやや太目のアルトが朗々と響き渡り驚かされた。そして、そのアルトに乗って届けられる歌詞の一節々々がなんと説得力にあふれていたことか。

 

 よく知られているように、ピアフは大竹のもっとも大切な持ち役のひとつである。イギリスの劇作家パム・ジェムスの書いた評伝劇『ピアフ』で四度もヒロインを演じ、そのたびに劇のなかでピアフの持ち歌にも挑んできた。そのキャリアからすればピアフとそのシャンソンは大竹自身の手のうちにあるといえる。

 

 ただし、同じピアフのレパートリーであっても劇中で歌うのとコンサートで歌うのとでは、心構えから表現方法まですべてがまったく異なる。評伝劇ではヒロインになり切ったつもりで歌わなくてはならないが、コンサートでは大竹個人と歌との対決を目指すべきである。双方の間には大きな溝が横たわっているはずだ。今回のコンサートで彼女はその隔たりを見事飛び越えてみせた。天晴れ!

 

 曲目には「愛の讃歌」初め「群衆」「アコーディオン弾き」「ミロール」などおなじみのピアフ十八番がずらりと並ぶ。とりわけ「バラ色の人生」の幸福感、「水に流して」の断固たる意志が胸に響いた。すべての歌は日本語歌詞で歌われたが、「水に流して」だけはアンコール曲としてフランス語でも披露した。よほど愛着があるのだろう。

 

 過去に囚われず、常に前を向いて歩む……という歌詞の内容と大竹の人生観とがどこかで相呼応するのかもしれない。

 

 大竹シャンソンのひとつの特色は気取りのなさにある。日本のシャンソンにありがちなスノビズムがひとかけらもないのだ。そこがとてもすがすがしい。かたわらシャンソン特有の物語性を際立たせるという点でも、長年の女優経験が大いにものをいっている。劇のなかに生きることとシャンソンのなかに生きることとは、多分に共通するものがある。大竹しのぶにシャンソンはよく似合う。

 

 (オリジナル コンフィデンス  2019/2/25号 コラムBIRD’S EYEより転載)

 

    見事な熱唱ぶりだった。大竹はピアフ の曲の数々を完全に我がものにしていた。

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