題名に惹かれ、中川右介著「阿久悠と松本隆」(朝日新書)を読んだ。なぜ著者はあまたの作詞家のなかからふたりを選び出し、彼等の軌跡を検証する気を起こしたのか?

 

 著者は「二人が並走していた一九七五年から八一年に絞って」、彼等のヒット曲の動向をつぶさに追い掛けている。この時期が〝歌謡曲黄金時代〟であり、その〝黄金時代〟を陰に陽に支えてきたのがこのふたりだからだ。

 

 この本の特色のひとつは徹底したデータ主義である。そのためにオリコンのSingle Top100がフルに活用される。いつ、なんという曲がヒットチャートの第1位を飾ったか。それらの曲を歌い、作詞し、作曲したのは誰だったのか。

 

 その克明な追跡作業のなかからおのずと阿久、松本の活躍ぶりも焙り出されるという仕掛けである。かつてなかった独自な手法に目を瞠らされる。

 

 一例を挙げる。76年11月29日付けチャートだと、上位5曲のうち2位都はるみ「北の宿から」、4位岩崎宏美「ドリーム」、5位森田公一とトップギャラン「青春時代」と3曲が阿久作品だという事実が指摘される。ちなみにこの週のトップは研ナオコ「あばよ」(作詞作曲中島みゆき)であった。

 

 同じ76年でも少し遡って3月8日付けの順位にも触れている。1位子門真人「およげ!たいやきくん」、2位太田裕美「木綿のハンカチーフ」、3位西城秀樹「君よ抱かれて熱くなれ」、4位岩崎宏美「ファンタジー」、5位桜田淳子「泣かないわ」……。このうち太田の曲の作詞を松本が、西城、岩崎、桜田の曲の作詞を阿久が受け持っている。阿久の牙城に松本が切り込んだという印象がなくもない。

 

 阿久、松本の鍔迫り合いが始まった76年に次いで、中川氏は81年という年に注目する。この年のオリコン・ランキングで1位を占めた14曲のうち6曲が松本の作詞だからだ。寺尾聰「ルビーの指輪」、近藤真彦「スニーカーぶる~す」「ブルージーンズメモリー」、松田聖子「白いパラソル」「風立ちぬ」、イモ欽トリオ「ハイスクールララバイ」である。

 

 一方、「阿久悠作品は一曲も年間二〇位以内に入らなかった」という。

 

 81年はリーダー的役割を担う作詞家が阿久悠から松本隆にバトンタッチされた記念碑的な年という認識である。

 

 阿久と松本はそれぞれ37年、49年生まれ、干支でいうとちょうど一回り違う。作詞した曲数は阿久が約5000、松本が約2000に上る。松本の曲数は今後も増え続けることだろう。ちなみに松本が生前の阿久と会話したのはパーティーでの短い立ち話1回きりだという。

(オリジナル コンフィデンス  2018/2/26号 コラムBIRD’S EYEより転載)

 

        頁をめくるたびに懐かしいヒット曲が次々に蘇ります。