2月16日公開のアメリカ映画「グレイテスト・ショーマン」について讀賣新聞(2月3日付け夕刊)に寄稿しました。以下その全文です。

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  去年5月、アメリカ最大のサーカス団〈リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカス〉が、100年以上の歴史の幕を閉じた。諸経費高騰、動物愛護の精神から象の曲芸をとりやめ、それが観客動員に響いたせいだと聞く。

 

  私がこの名称に名を残す希代の興行師P・T・バーナム(1810~91年)の存在を知って興味を持ったのは、1953年、前年度のアカデミー賞作品賞受賞作『地上最大のショウ』を見たときだった。同時にアメリカン・ショービジネスの原点はサーカスにあることも教えられた。

 

 実は最近、このバーナムとスクリーンを通して相まみえることができた。波瀾万丈の彼の人生が、ミュージカル映画として再現されたからだ。ヒュー・ジャックマン主演『グレイテスト・ショーマン』である。

 

 『地上最大のショウ』は空中ブランコや巡業列車の大事故を散りばめた一大スペクタクルだった。今回も豪華なショー場面はあるが、バーナム、その妻、一座の芸人たちの感情の波や心理のひだをミュージカル・ナンバーとして表現することに、むしろ力点を置いている。時代背景こそ19世紀半ばだが、音楽、ダンスを通じ画面にあふれ出るのは、現代的鼓動であり色彩である。

 

  ヒュー・ジャックマンに〝華〟がある。赤いジャケット、金色のベストに着負けしていない。そして、余裕しゃくしゃくの芸。『レ・ミゼラブル』のとき以上に強靭な歌唱力にも自在なダンス力にも磨きがかかった。

 

  たとえば「ジ・アザー・サイド」というナンバーでは、バーナムと彼が相棒にと狙いをつけた男カーライル(ザック・エフロン)が、酒場で激論を戦わす。それがあっという間に歌と軽やかなステップに昇華する。ミュージカルにしかない〝技〟を見た。

 

  一座には一芸に秀でながら、人種、階級、容姿などで差別を受けている人たちが沢山いる。バーナム自身、職人階級出身のため幼いときから苦汁をなめてきた。

 

  映画のそこここに秘められていた差別批判が一挙に噴出する個所がある。社交界の祝宴に出席しようとした一座の芸人たちがドアを閉ざされ、髭面の女性歌手レティ・ルッツ(キアラ・セトル)が「ディス・イズ・ミー(これが私)」を熱唱する場面である。自身と自らの芸に対する矜持が聴く者の胸に迫る。楽曲自体のスケール感がすこぶる大きい。3月に授賞式がおこなわれる第90回アカデミー賞歌曲賞候補になっている。

 

  これら2曲を含む計9曲の新曲を詞・曲ともに書き下ろしたのは、今、もっとも旬のソング・ライター2人組ベンジ・パセック&ジャスティン・ポールである。映画『ラ・ラ・ランド』の作詞、ブロードウェイで大ヒット中の『ディア・エヴァン・ハンセン』(トニー賞最優秀ミュージカル作品賞、最優秀楽曲賞など)の作詞・作曲で一躍名を馳せた。特に後者の楽曲は、ネット社会の孤独な若者たちの魂にそっと寄り添い、静謐な哀しさを湛えている。

 

  映画、舞台問わずミュージカルにはバックステージものという系譜がある。1930年代の『四十二番街』から21世紀の『ラ・ラ・ランド』まで。撮影所、劇場の楽屋で繰り広げられる人間模様こそ〝人生の縮図〟という認識が前提になっているにちがいない。『グレイテスト・ショーマン』、また然り。

 

  彼の名を冠したサーカスは消滅したが、ヒュー・ジャックマン、パセック&ポールのお蔭でバーナムの名前は末永く人々の記憶にとどまることだろう。

 

                                              (讀賣新聞 2018年2月3日 夕刊 掲載)

 

 

                           ヒュー・ジャックマンの熱演が見ものです。

© 2018 Twentieth Century Fox Film Corporation

 

2月16日(金)全国ロードショー!

■配給: 20世紀フォックス映画