3月2日、ザ・プリンスパークタワー東京で第12回渡辺晋賞表彰式とパーティーがあった。賞に名を残す故渡辺晋氏は、初代渡辺プロダクション社長、音楽、映画、テレビと幅広く活躍し、プロダクション・ビジネスのいしずえを築いた人物として知られる。

 

 渡辺晋賞は、渡辺氏の名を世に末長く伝えるとともに、氏に続く気鋭のプロデューサーたちを顕彰するために設けられたものだ。主催渡辺音楽文化フォーラム(理事長渡邊美佐さん)。ことしの受賞者は本賞が矢内廣さん、特別賞が川村元気さんだった。

 

 矢内さんは、新しいタイプの情報誌ぴあを創刊した上、チケット販売にコンピューター・システムを導入した革命児である。更に東日本大震災以降は被災地に劇場を建設し、コンサートを開催するなど積極的に支援活動を展開している。その成果全般が評価され今回の受賞につながったのだろう。その足跡からして受賞は遅きに失した感さえある。

 

 川村さんは東宝プロデューサー、超ヒット作『君の名は。』の企画・製作で中心的役割りを果たした。今、もっとも旬な映画人である。

 

 渡邊美佐理事長は、

 「世代の違うふたりが選ばれ、とてもよかった」

と喜んでいたが、私もまったく同じことを感じた。壇上に立つふたりの笑顔を眺めながら、プロデューサーという仕事が世代から世代へ受け継がれていくこと間違いなしと確信したからだ。

 

 ちなみに3月2日は、渡辺晋氏の誕生日だという。晋さんは1927年生まれ、87年没。亡くなられたときは59歳の働き盛りだった。もし存命なら、晋賞表彰式当日、90歳を迎えたことになる。

 

 この日、会場に設置されたテレビに若き日の晋さんの姿が映し出されたが、とりわけ現役ベーシスト時代の颯爽たるプレイぶりが懐かしかった。ハンサム・ボーイぶりにも改めて目を瞠った。

 

 翌3月3日、オーチャードホールで〝ゆかり・ミエ・まり/3人娘メモリアルコンサートひな祭スペシャル〟を見る。前日に引き続いて渡邊美佐さんとお会いする。伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりはナベプロを支える主戦力だったのだから、渡辺プロ名誉会長の美佐さんが姿を見せてなんの不思議もない。

 

 3人のうち、いちばんの貫録は中尾か。客席の笑いのとり方が堂に入っている。久しぶりに生でゆかりの「小指の想い出」が聴けたのも嬉しい。思わぬ拾いものは園の情感あふれる「愛の讃歌」だった。このステージ、晋さんにも見せたかったなあ。

 

  (オリジナル コンフィデンス  2017 3/27号 コラムBIRD’S EYEより転載)

 

 

「渡邊美佐理事長から記念のレリーフを受け取る矢内廣さん。

うしろのベースは渡辺晋さんが愛用したものです」