ことし一年の憂さを吹き飛ばしてくれるようなとても愉快なワンマン・ショウを見た。Blue Note Tokyoでの堺正章ライヴである(12月8日 1stステージ所見)。絶妙なトーク、肩の力の抜けた歌いぶり。連発するジョークに下品さがないのがいい。70歳ならではの老練ぶりと年齢を感じさせない溌剌さが、なんともいいバランスでブレンドされている。

 

  のっけから淀みない話術が冴え渡る。芸能キャリアの原点、16歳で参加したグループサウンズ田邊昭知とスパイダース当時の話が実におかしい。銀座、新宿などの音楽喫茶が主な仕事場だったが、客がひとりだったことも。

 

 「突然、場内が真っ暗になった。店のマネジャーが電気代がもったいないって」

 

  スパイダース時代からの僚友で、目下病気療養中のかまやつひろしの姿を見つけ、舞台に引き上げる。そして、かまやつ作曲の「サマー・ガール」をデュエットする。当の作曲者にビーチ・ボーイズとの類似点をやんわり問い質したりするのだが、年季の入った芸の力ですべてをジョークに昇華させてしまう。

 

 「今夜は10曲ほど歌わせていただきます。値段をつければ10曲で3千円、まあ1曲300円くらいのもので……」

 

  冗談の先は自分にも向けられる。ほどよい自虐性がまた笑いを呼ぶ。

 

  堺の強味は、スパイダース時代もソロになってからも自前のヒット曲を多数持っていることだ。そのキャリアなくしてワンマン・ショウ・ライヴはあり得ない。

 

  この夜、堺は一曲々々に万感の思いを込めて歌った。「あの時君は若かった」「夕陽が泣いている」「街の灯り」「さらば恋人」と続く。ただ佳曲と信じる「忘れもの」がヒットしなかったことが納得出来ないらしい。

 

 お喋りのなかで自らの人生を振り返り、「五勝四敗一引き分け」と採点していたのも、含蓄深いひとことだなと感心させられた。「一引き分け」を入れたところになんとも言えない微妙さがある。この自己採点は、おごらず高ぶらず、己に謙虚な堺の人柄そのものだと思う。

 

 特筆したいのは笑いの蔭に時折ちらりと見え隠れするペーソスだ。気がつく人は気がつくスパイスになっている。

 

 思い出ひとつ。スパイダースが初めて有楽町・日劇の『ウエスタン・カーニバル』(1966年5月5~12日)に出演したとき、堺と井上順が披露したコミック・アクトが忘れられない。バックの演奏に合わせてフェンシングの真似事をするだけなのだが、間合がいいのか実におかしかった。天性の喜劇役者の萌芽はすでにあのときあったのでは?努力の人でもあるマチャアキに改めて乾盃!

 

(オリジナル コンフィデンス  2016 12/26号 コラムBIRD’S EYEより転載)

 

当日のメニューより。