南青山・根津美術館前の古書店、日月堂はフランス文化関連の品揃えがいいことで一部の通に知られている店だ。せんだってここで加藤和彦、安井かずみ著『ヨーロッパ・レストラン新時代』という本を見つけた。
帯に「レストラン文化を通して見たヨーロッパ再発見の旅!新しい知的食体験の数々をフルコースで如何」とある。へーえトノバンとズズがこんな本を出していたとは。表紙の絵が金子國義とはまたなんと贅沢な。
版元が渡辺音楽出版なのに興味を惹かれた。刊行は1989年。
この美食旅行記で加藤、安井夫妻が訪ね歩いたレストランは、フランス、イタリア、スペイン、北欧諸国にまたがり22軒に及ぶ。店や料理のカラー写真がふんだんに入っているし、ふたりの仲睦まじい光景もいくつか見られる。夫妻のファッション・センスのよさにも目を見張らされる。まさに最先端のカップルだ。
文章はほとんどすべてズズが書いたものと思われる。主語が「私」と一人称単数で、フランスに住んだ体験がしばしば語られるからだ。「加藤とは、実はその時、ちょっとした夫婦げんかをしたのだった」といったくだりもある。
フランスはトゥールーズのロベールガッドという店で、加藤が鴨、安井が鳩をオーダーしたときのこと。シェフのミシェル・トラマが、自分の料理の5つの信条として、見た目、香り、味、音(歯応え)などを挙げた上で、最後、安井に「マダム、第5は何んでしょう、お解りかな」と尋ねる。即座に彼女は「トューシェ」と叫んだという。
トューシェとはフランス語のtoucheで英語のtouchに当たる。訳せば触感、舌に触れたときの味わいである。触感もまた食感の大事な要素ということだろう。
加藤、安井はこの本のほか『ニューヨーク・レストラン狂時代』『カリフォルニア・レストラン夢時代』とシリーズで計3冊出しているようだ。もちろん、すべて渡辺音楽出版からである。
楽曲の管理やプロモーションを主な仕事とする音楽出版社が、過去現在を問わず、楽譜はさて措き単行本を出版した例を、寡聞にして私は知らない。雑誌ではフジパシフィックが「SWITCH」の版元を務めていたことがあるけれど。
加藤、安井の『ヨーロッパ・レストラン新時代』は、単行本にはめずらしくサントリーなど広告頁がいくつか見られる。取材などにかなりかかったであろう経費の埋め合わせか。
音楽業界を含め日本が経済的にも気分的にも余裕があった時代の匂いが、表紙から頁から漂って来る。
(オリジナル コンフィデンス 2016 6/27号 コラムBIRD’S EYEより転載)
この本には加藤、安井夫妻の時代の先端を行くセンスのよさがあふれています。