グランドホテルを舞台に描かれる狂騒の群像劇

 

People come, people go……(やって来る人もいれば、去って行く人もいる……)」

 

 登場人物のひとりが何気なくつぶやくこのひとことに、ミュージカル『グランドホテル』のすべてが集約されている。それどころか、この一行には、人の世の有様すべてが凝縮されていると言えるのではないか。

 

 時あたかもナチスの不穏な影がしのび寄る1928年、ベルリンのホテルを舞台に、一癖あり気な人物たちが交錯し合う。重篤な病いを背負う会計士オットー、無一文の男爵フェリックス、倒産寸前の社長ヘルマン、ハリウッド女優を夢見るフレムシェン、峠を越したプリマバレリーナのグルシンスカヤなど。

 

 今回の公演ではグリーン、レッドと二組のキャストが組まれている。オットーは中川晃教vs成河、グルシンスカヤは安寿ミラvs草刈民代など。もともと多彩な登場人物を多芸な演者が競い合うことになる。どちらの組の切符を買うとしようか。えーい、いっそ両方見ることにするか。

 

 『グランドホテル』の歴史は長く古い。原作の小説(作ヴィッキー・バウム)が出版されたのは1929年。32年にはハリウッドで映画化され大ヒットする。副産物として、一定の場所での群像劇を意味する〝グランドホテル型式〟という言葉まで生み出した。最近の映画『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)まで、その伝統は連綿と受け継がれている。

 

気鋭トム・サザーランドが挑む革新的アプローチ

 

 1989年、ブロードウェイでトミー・チューンの振付・演出によりミュージカル化され大成功を収める。91年にはこのブロードウェイ版のツアー公演が日本にもやって来た。このトミー・チューン版では一本の棒が象徴的役割を担っていた。時にはバーのカウンター、時にはトイレの洗面台に早変わりしたりする。この横棒を跨いで踊り狂うオットーが凄かった(今YouTubeで、1990年度トニー賞授賞式の際のこの場面を見ることが出来る)。

 

 去年5月、急逝した演劇評論家の扇田昭彦さんが、この来日公演に触れ次のように書き残している。

 

 「この印象的な横棒は何を意味しているだろうか。(中略)仕事づくしの謹厳な日常から狂乱の祝祭へ。つつましい生から花飾りの死へ。」(朝日新聞社刊「ビバ・ミュージカル!」所収)

 

 『グランドホテル』と聞くと、私は亡き扇田氏の名批評を思い浮べる。

 

 『グランドホテル』のもとの詞・曲を書いたのはロバート・ライト、ジョージ・フォレストのふたりだが、モーリー・イェストン(『ナイン』『タイタニック』)が新たに楽曲を書き下ろしたり歌詞を手直ししたりした。イェストンは作詞と作曲二刀流の強みを十二分に発揮し、補作者以上の働きぶりを見せている。

 

 不気味な劇的高揚感に満ちた幕開きの「The Grand Parade」、嘘か誠かわからない求愛を訴える男爵のソロ「Love Can’t Happen」などお聴き逃がしなきよう。ともにイェストンの書き足した曲である。

 

 先の扇田さんの劇評ひとつ読んでも明らかなように、『グランドホテル』と言うと、トミー・チューンの振付・演出面での才腕ぶりがまず頭に浮かぶ。しかし、今回の舞台はウエストエンドの気鋭トム・サザーランドが演出する(振付はリー・プラウド)。サザーランドはトミー・チューンの作り上げたイメージを保持するのか払拭するのか?例の魔法の杖ならぬ万能の横棒は出て来る、出て来ない?

 

                          ( コモ・レ・バ?}Vol.2 Spring 2016より転載)

 

                                greenとred、2組の競演が楽しみです。