無闇と長い題名だが、意義深いコンサートだったと思うので、はしょらずに書き記しておく。

 

 〝ニッポン放送「HAPPY FM93」開局記念&フジパシフィックミュージック創立50周年記念コンサート/オールナイトニッポンALIVE~ヒットこそすべて~〟(3月1日、日本武道館)。

 

 このタイトルのなかでとりわけ重要なのは〝フジパシフィック創立50周年〟と謳う個所である。今までに日本の音楽業界で、音楽出版社の創立を祝ってコンサートが開かれたケースがあったろうか。多分初めての快挙ではないか。

 

 フジパシフィックの前身パシフィック音楽出版がニッポン放送の子会社として設立されたのは、1966年のこと。音楽出版ビジネスとは何かさえ雲をつかむような時代のスタートだった。この分野での先駆けの1社であり、放送系音楽出版社としてはTBS系の日音に次ぐ第2号であった。

 

 コンサートは、きたやまおさむ、坂崎幸之助の歌う「帰って来たヨッパライ」で幕を開けた。それはそうだ、フジパシの歴史は、創業早々、この曲の大ヒットに恵まれるという幸運から始まったのだから。

 

 ラジオ局の系列会社として音楽出版を、という卓抜なアイディアは、当時のニッポン放送常務石田達郎氏の脳みそから生まれた。創設時の社員は朝妻一郎氏(現フジパシフィック会長)たった1名。その朝妻さんが、大阪で人気の出掛っていたザ・フォーク・クルセダーズの噂を耳にし、交渉の結果、獲得したのが「帰って来たヨッパライ」の原盤権だったという。

 

 曲を聴いた石田さんの心に響くものがあったのか、「オールナイトニッポン」で集中的にオンエアするよう指示がくだる。なるほど人を喰った内容のいささか長尺のこの曲は、当たり前の放送時間より深夜こそふさわしかったのかもしれない。

 

 レコードこそ東芝音楽工業からリリースされたものの、ヒットの原動力としてはラジオ局の力が大きく働いたと思われる。

 

 当日、さまざまなアーティストがさまざまなヒット曲を携えてステージに登場した。

 泉谷しげる「春夏秋冬」、宇崎竜童「スモーキン・ブギ」「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」、小田和正「僕の贈りもの」……。そのたびに、そうかこれもフジパシ、LFが共同で仕掛けたのかと改めて感心したり納得したりせずにいられなかった。

 

 鈴木雅之に至っては、シャネルズ「ランナ・ウェイ」に始まり、ラッツ&スター「め組のひと」、鈴木自身のソロ「ガラス越しに消えた夏」と〝人格〟が変わるたびに計三度も両社の〝お世話〟になっている。

 

 出場者の誰かがコメントしていたが、現在、フジパシの管理曲は邦楽6万曲、洋楽30万曲だとか。会社に歴史あり。

 

(オリジナル コンフィデンス  2016 3/28号 コラムBIRD’S EYEより転載)

 

全員出演のフィナーレはとりわけ盛り上がった。