子役上がりの名女優(歌も歌った)で参議院議員だったこともあるが、昨今は主に文筆活動、時折、じゃあなく始終スキューバ・ダイビングという日常らしい。その中山千夏の近著『芸能人の帽子/アナログTV時代のタレントと芸能記事』(講談社)にすこぶる感心した。

 

 これはスターの座に上り詰めたことのある人でしか書き得ない回想録だが、スターとは何者か、その実情を訴えた一種のスター論でもある。更に切れ味鋭い優れた芸能ジャーナリズム論としても読める。

 

 千夏がテレビで全国区のスターにのし上がったのは、1969年だそうだが、まず彼女は、その前後数年間、自分自身がどう書かれたか、改めてその記事を読み返してみる。同時に彼女側からの裸の実態をさらけ出す。

 

 当然、記事とその実態とは落差がある。その落差とそれがどうして生じたかをも徹底的に論証し尽くしている。有名人の回想録に傍証として新聞・雑誌記事が引用されるのはよくあることだが、記事を前提にして己の実人生を検証した例は私の知る限りない。自伝のための方法論としては世界初の試みではないか。

 

 ハイライトは、ルポライター竹中労の記事(週刊読売70年3月6日号「スターを斬る!④」)を俎上に載せたくだりである。取材が十分でない上、書きたい放題の竹中の文章に初めは腹を立てるが、次第に書き手の気持をおもんばかるようになる経緯がヴィヴィッドに書かれている。

 

 思い出せば70年前後は、芸能誌、女性誌など週刊誌を中心に芸能ジャーナリズムが花盛りの時代だった。スポーツ新聞各紙の芸能欄も特だねを競い合っていた。取材側が取材される側に必要以上に気を使う風潮などまったくなかった。なかでも竹中は「無頼」が売りものの「強靭な論客」としてその名を残す書き手であった。

 

 ところで、中山千夏の本格的なレコード・デビューは69年9月、ビクターからだった。曲名「あなたの心に」(作詞中山千夏、作曲都倉俊一)。『芸能人の帽子』には「週刊TVガイド」(10月31日号)での私との対談が一部引用されている。

 

 そのなかで不遜にも私が「大ヒットする歌じゃないけど、いい歌だよ」などと言っている。中山自身も「売れるなんて信じられない」とすこぶる謙虚だ。しかし、本人、私の予想に反し売れに売れ、オリコン・チャートで第2位を獲得したという。

 

先の対談のなかには私が作曲者について尋ね、彼女が「都倉俊一っていって、学習院大学の男の子であたしと同じ年」と答えているくだりがある。「あなたの心に」は作曲家都倉のデビュー曲でもあったのだ。

 千夏さん、昔をいろいろ思い出させてくれて有難う。楽しく読みました。

 
(オリジナル コンフィデンス  2015 5/25号 コラムBIRDS EYEより転載)

昭和芸能史に興味のある方は必読です。 
それにしてもチナッちゃんは名文家だなあ。