なかにし礼の生きざまが丸ごと収められている風情のアルバムである。作詩家・作家生活50周年記念にリリースされた『なかにし礼と12人の女優たち』(日本コロムビア)を繰り返し聴いていると、おのずとそんな思いにとらわれずにいられない。

 

 シャンソンの訳詩家から作詩家、そして作家(2000年、直木賞受賞)へと、もの書き人生がどんどん広がるにつれ、「小説がベストセラーになり、ドラマ化され映画化され舞台化され、私の交遊関係は一挙に広まった。そういうことの次第で」今回のアルバムが生まれることになった、と本人がライナーノーツで述べている。

 彼がもし小説を書かなかったら、生まれなかった副産物かもしれない。
 

 12名全員に敬意を表し、その名と曲目を書き出すことにする。
 

 常盤貴子「恋のフーガ」、水谷八重子「時には娼婦のように」、南野陽子「知りたくないの」、平淑恵「別れの朝」、浅丘ルリ子「愛のさざなみ」、桃井かおり「グッド・バイ・マイ・ラブ」、泉ピン子「石狩挽歌」、佐久間良子「リリー・マルレーン」、高島礼子「恋の奴隷」、草笛光子「行かないで」、大竹しのぶ「人形の家」、黒柳徹子「世界の子供たち」。

 

 いずれも表看板は女優という顔ぶれである。歌手経験のある南野以外は、その歌いぶりは歌手のそれとは微妙に異る。人によっては歌唱力不足の部分もなくはないが、そこは持ち前の表現力で補ってあまりある。歌でもみせてくれる演技力がこのアルバムの聴きどころである。常盤、平、高島は初レコーディングだそうだ。

 

 いずれもアヤメ、カキツバタだけれど、私はまず第一に大竹の「人形の家」にしびれた。弘田三枝子のオリジナルは多分に可愛らしさを装ったカマトト気味の域を出ていないが、大竹は見事におとなの歌に仕立て上げている。捨てられた女の痛切な響きに胸打たれる。しかも一種の気品を滲ませているところが、大竹の真骨頂だ。

 
  草笛とシャンソンの組み合わせは意外だったが、彼女の「行かないで」は絶品である。去り行く男にすがりつく女の心情が切々と迫る。感情過多でないのがいい。

 

 桃井の「グッド・バイ・マイ・ラブ」はこれはもう女優の余技を超えている。泉の「石狩挽歌」には彼女と演歌の相性のよさが際立っていると思った。

 

 ところで、ことしが、なかにしにとって節目の年なのは、50年前の1965年、ふたつの大きな出来事があったからだ。訳詩した「知りたくないの」(歌菅原洋一)の大ヒット、生まれて初めて作詩作曲した「涙と雨にぬれて」(石原裕次郎)の吹き込みである。本人曰く「ペンと言葉と時々音符、だけでなんとか生きてきた人生」だそうだ。いっそうの健筆を心から祈る。

 

(オリジナル コンフィデンス  2015 4/27号 コラムBIRDS EYEより転載)